2017年02月18日

ゴンサロ・イグアイン(Gonzalo Gerardo Higuaín)〜(バティ+クレスポ)÷2〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はイグアイン選手です。

フランス・ブルターニュ地域圏フィニステール県ブレスト出身のアルゼンチン人サッカー選手。セリエA・SSCナポリ所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。

【フランスにルーツ】
アルゼンチン時代
フランスのブレストでサッカー選手の父の下に生まれ、イグアインが生後10ヶ月の時に一家はアルゼンチンへと移った。アルゼンチンの名門CAリーベル・プレートのユースに加入したイグアインは、2005年5月29日のヒムナシア・ラ・プラタ戦でデビュー。若くして頭角を現し、2006年10月8日のボカ・ジュニアーズとのスーペルクラシコでは2得点を挙げ、注目を浴びる。2006-07シーズンの冬のオフ、1200万ユーロ(当時のレートで約20億円)でレアル・マドリードへと移籍。

レアル・マドリード
2006-07、2007-08シーズンでは主に3トップの右ウイングとして起用された。2007-08シーズンではイグアインの先発により、ロビーニョがベンチを暖める機会が増えた。2007-08シーズンのアウェイでの優勝をかけた第35節オサスナ戦では、後半の途中から出場。終盤にフリーキックからアリエン・ロッベンのヘディングでの同点ゴールをアシストすると、試合終了間際には自ら優勝を決める決勝ゴールを決めた。更に第36節のFCバルセロナとのエル・クラシコでは後半の途中から出場し、ファーストタッチでゴールを決めた。この2試合を含む4試合連続途中出場でゴールを記録するなど、切り札としてレアル・マドリードのリーガ連覇に大きく貢献した。2008-09シーズン途中からチーム事情(シーズン序盤にロビーニョ放出、ファン・ニステルローイが長期離脱)により、CFを任されることが増え、ラウル・ゴンサレスとの2トップを形成した。このシーズン、マラガ戦では不調のチームの中でイグアインが一人気を吐き、4得点を挙げてチームを勝利へと導いた。最終的にこのシーズン22得点を挙げチーム得点王となる活躍を見せた。
2009-10シーズンも、クリスティアーノ・ロナウド、カカ、カリム・ベンゼマといったそうそうたるアタッカーの加入により、開幕戦こそスターティングメンバーに名を連ねることが出来なかったが、徐々に信頼を得ると主将のラウル、ベンゼマからレギュラーを勝ち取り、前年を超えるハイペースでゴールを量産。シーズン初ゴールは開幕から7週間後となる10月中旬であった。しかし、最終的にリーグ戦で前シーズンを上回る27得点を挙げ、リーガの得点ランク2位となった。 ゴールをコンスタントに決めることから、マヌエル・ペジェグリーニ前監督からの信頼も厚かった。




ベスト16に終わったチャンピオンズリーグ、リヨン戦の2ndレグでは、ゴールキーパーをかわした後に無人のゴールに決められなかったこと、ディフェンスが3人いたにも関わらずフリーだったクリスティアーノ・ロナウドにパスを出さなかったことなどから戦犯の一人と見なされ、チームの第2キャプテンであるグティから暗に批判された。

2010年には2016年まで契約を延長。ラウルが移籍してクリスティアーノ・ロナウドが背番号7を求めたことにより空き番となったエースナンバー9番を背負うという話が出た際には背番号20に対する愛着を語り、変更しないことを望んだ。ジョゼ・モウリーニョが監督に就任した2010-11シーズンは1トップを任されるもゴールが遠く、序盤戦は不調に喘いだ。その後は徐々に復調の兆しを見せ、11月3日に行われたチャンピオンズリーググループステージのACミラン戦では、前半終了間際にアンヘル・ディ・マリアのパスからクラブの欧州大会通算700点目となる先制点を挙げた。このシーズンは18試合で10得点と高い得点率を誇っていたものの、その後椎間板ヘルニアによって離脱。12月1日に精密検査を受けた結果、手術が必要であると判断され、翌年1月11日にシカゴにて手術を行った。手術の直前に行われたビジャレアル戦の試合前、チームメイトはイグアインへのメッセージが書かれたTシャツを着て励ました。

4月3日のスポルティング・デ・ヒホン戦で後半から途中出場。メスタージャでのバレンシア戦では、復帰後初ゴールを含むハットトリックを達成した。バルセロナとのチャンピオンズリーグ第2戦でも後半開始直後にゴールネットを揺らしたが、直前のハビエル・マスチェラーノに対するクリスティアーノ・ロナウドのファウルが取られたことにより得点は取り消された。

2011-12シーズンの開幕前プレーオフで好調だったベンゼマとは対照的にあまり調子の上がらなかったイグアインは、開幕戦をベンチスタートで迎えることとなった。その後もモウリーニョはベンゼマを信頼し、イグアインはほとんどの試合で先発メンバーに選ばれなかった。しかしその後、チャンピオンズリーグのアヤックス戦でベンゼマは左足長内転筋を負傷。第7節RCDエスパニョール戦で先発のチャンスを得るとハットトリックを記録し、復調を印象づけた。さらに次のレアル・ベティス戦でも2試合連続でハットトリックを達成した。

PKを蹴らないにも関わらず時間当たりの得点率はクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシを超えて欧州5大リーグでトップであったが、ベンゼマとのレギュラー争いに敗れ、エル・クラシコやチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦などを始めベンチスタートとなる日々が続いた。そのことからシーズン終了後の移籍の噂が後を絶たず、ユヴェントスFCやパリ・サンジェルマンFC、チェルシーFC、マンチェスター・シティFCなど多くのクラブからの関心が伝えられた。

ナポリ
2012-13シーズン終了後、移籍を希望し、ユヴェントスFCやアーセナルFCが獲得に動いた。2013年7月24日、SSCナポリ移籍が決定。契約は5年間。 レアル・マドリード時代の同僚であったアルビオル、カジェホンとはここでも同僚になる。

【代表】
2010 FIFAワールドカップの監督でもあったディエゴ・マラドーナからは「バティとクレスポの資質を備えている」と評され、クレスポ自身も代表での後継者として指名した。

【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【8】
posted by よしき at 05:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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