2016年02月04日

ジュリオ・セザル(Júlio César Soares de Espíndola)〜ドイツに7ゴールを奪われた〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はジュリオ・セザル選手です。

ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州ドゥッケ・デ・カシアス出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。

【多彩な経歴】
フラメンゴ
1997年に地元のクラブであるCRフラメンゴでプロ契約。2000年に定位置を奪取すると、2005年までに130試合に出場した。
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インテル
2005年1月14日にイタリアのインテルへ移籍した。しかし、EU外選手枠の関係から1月16日にACキエーヴォ・ヴェローナへ期限付き移籍する。キエーヴォでは出場機会がなかったが、インテルでは1年目の2005–06シーズンからロベルト・マンチーニ監督の信頼を得てフランチェスコ・トルドに代わる正GKとなる。このシーズンから始まったインテルのリーグ5連覇に貢献した。
2008-09シーズンにジョゼ・モウリーニョ監督が就任してからも守護神の座を譲らず、2009-10シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場。チャンピオンズリーグ、セリエA、コッパ・イタリアの三冠獲得を経験した。
2009年に契約を2014年まで延長。当時はキャリアの絶頂にあり、ジャンルイジ・ブッフォンやジャンルカ・パリュウカもセザルのパフォーマンスを称えた。また、2009-10シーズン終了後にトルドが現役を引退したため、翌シーズンより背番号1を引き継いだ。

その後もインテルの正GKを務めたが、モウリーニョがレアル・マドリードに移って以降は故障や細かいミスなどが目立つようになっていき、それと同時にチームの成績も低迷していった。
2012年、ウディネーゼからサミール・ハンダノヴィッチが移籍してきたことや減俸提示を受け入れなかったこともあり、背番号1を剥奪されて構想外となり、双方合意の上で契約を解除した。
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QPR
2012年8月29日、イングランドのQPRと4年契約を結んだ[5]。背番号は33。同じく新加入のロバート・グリーンが、8月17日のスウォンジーとの開幕戦で5失点するなど不安定なパフォーマンスを見せていたための緊急補強となった。9月15日のチェルシー戦でデビューを飾ると前年度チャンピオンズリーグ王者相手に攻守を披露し、0-0のスコアレスドローに持ち込んだ。

トロントFC
2014年2月14日、元チームメイトのライアン・ネルセン率いるメジャーリーグサッカーのトロントFCにレンタル移籍した。

SLベンフィカ
2014年8月19日、SLベンフィカがクラブの公式HPで2年契約を結んだと発表した。

【代表】
ブラジル代表では、2003年からジーダの控えとしてブラジル代表に招集されるも、出場機会は得られずにいた。しかしコパ・アメリカ2004では正GKとなり、初戦のチリ戦で代表初出場を記録すると全試合に出場。決勝のアルゼンチン戦ではPK戦で最初のアンドレス・ダレッサンドロのシュートを止め、ブラジルの優勝に貢献した。その後もジーダやマルコス、エウレリョ・ゴメス、ロジェリオ・セニ、ドニらと共に代表に招集され、2006年ドイツW杯に向けて互角の正GK争いをした。結局はジーダに正GKの座を譲ったが、ドイツW杯後にジーダが代表を退いてからは即座に正GKの地位を確保。南アフリカW杯のメンバーに選ばれたが、チームは準々決勝でオランダに敗れた。しかし、自身は決勝トーナメント1回戦まで2失点、オランダ戦での2失点で計4失点の成績を残した。南アフリカ大会以降は代表から遠ざかっていたが、2012年末に代表監督に就任したルイス・フェリペ・スコラーリからの信頼が厚く、すぐに代表の正GKに復帰。母国開催となったブラジルW杯にも選出された。決勝トーナメント1回戦のチリ戦では2本のセーブでブラジルを勝利に導いた。準決勝のドイツ戦で7失点、三位決定戦のオランダ戦で3失点を喫し、クラウディオ・タファレルが持っていたブラジル代表ワールドカップ最多失点記録をに更新することとなった。大会後、代表引退を表明。

【動画】


総合評価
攻撃力【3】
守備力【8】
センス【5】


posted by よしき at 23:08| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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