2017年10月08日

ガリー・ケーヒル(Gary James Cahill)〜ボルトンでブレイク〜チェルシーの新キャプテン

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こんにちわ

本日紹介する選手はガリー・ケーヒル選手です。

イングランド・ドロンフィールド出身のサッカー選手。ポジションはDF。チェルシーFC所属。「ギャリー・ケイヒル」などの表記もある。

アストン・ヴィラ
地元のAFCドロンフィードに所属していたが、15歳の時にアストン・ヴィラFCのアカデミーにスカウトされる。2004年からはバーンリーFCにローン移籍し、プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
アストン・ヴィラに戻り、マンチェスター・ユナイテッドFC戦でファーストチームデビュー。プレミアリーグ初ゴールは同じバーミンガムを本拠地とするバーミンガム・シティFC戦で、オーバーヘッドによる得点であった。アストン・ヴィラはこの試合に3-1で勝利した。 2007年9月、シェフィールド・ユナイテッドFCに3か月ローン移籍した。

ボルトン・ワンダラーズ
2008年、ボルトン・ワンダラーズFCに3年半の契約で移籍。レディングFC戦でデビュー。その後の活躍によりボルトンで一躍人気選手となり、サポーターによって「ベスト・ニューカマー」に選ばれた。

チェルシー
2012年1月にチェルシーFCに完全移籍。背番号は24番。2月5日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦でデビューした。UEFAチャンピオンズリーグ準決勝2nd legでの負傷により同決勝での出場が危ぶまれていたが先発出場。バイエルン・ミュンヘンの猛攻を体を張ったタックルで何度も食い止めるなどチェルシーの同大会初制覇に貢献した。 2013年1月12日に妻ジェンマとの間にレオが生まれる。長女フレイアに次ぐ2人目の子供であった。

【代表】
祖父母からアイルランドの血を引いているが、イングランド代表を選択。2009年6月のカザフスタン代表との親善試合で、怪我で辞退したリオ・ファーディナンドの代役として初めてA代表に招集された。しかしその試合で出番はなく、出場したのは1年以上後の2010年9月のブルガリア戦にマイケル・ドーソンの代役として招集されたときであった(試合は4-0で勝利)。ボルトンの選手がイングランド代表として出場するのは2002年のマイケル・リケッツ以来で非常に珍しいことであった。
2011年9月2日のUEFA EURO 2012予選のブルガリア戦で代表初得点となる決勝ゴールを挙げた。




【動画】


総合評価
攻撃力【6】
守備力【8】
センス【6】


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ダニエル・スタリッジ(Daniel Andre Sturridge )〜親戚に同国の元卓球王者がいる〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はダニエル・スタリッジ選手です。

イギリス (イングランド)・バーミンガム出身のサッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。イングランド代表。ポジションはフォワード。




アストン・ヴィラFCの下部組織からキャリアをスタートさせ、2000年にコヴェントリー・シティFC、2003年に、マンチェスター・シティFCの下部組織に引き抜かれた。2006–07シーズンからファーストチームに昇格。シティでは32試合出場6得点を記録した。シティの大量補強により出場機会を失い、2009年6月に契約満了を機にチェルシーFCに移籍した。

2011年1月まで41試合出場9得点を記録した。2011年1月にボルトン・ワンダラーズFCにレンタル移籍。ボルトンではデビュー戦から4試合連続でゴールを挙げ、12試合に出場し8ゴールと才能を開花させた。2011-12シーズンにチェルシーに復帰した。復帰したチェルシーでは昨シーズンの最終戦でレッドカードを受けたため開幕から三試合は出場停止となったが出場停止明けの第四節から復帰し右ウイングのレギュラーとして定着。

2013年1月2日、 リヴァプールFCへの移籍が発表された。移籍金は約1200万ポンド。
2013-14シーズンは開幕から4試合連続ゴールの好調な滑り出しを見せ、以降もシーズンを通してゴールを量産。最終的にはリーグ2位の22ゴールを挙げ、クラブのUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。プレミアリーグ8試合連続ゴールを達成。ルート・ファン・ニステルローイのプレミアリーグ記録『10』には届かなかったが、リヴァプールでは史上初。
【動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【4】
センス【7】
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2017年10月07日

ジェイムズ・ミルナー(James Milner)〜U-21イングランド代表の最多出場記録(46試合)保持者〜プレースタイル解析

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こんにちわ

本日紹介する選手はジェイムズ・ミルナー選手です。

イングランド・ウェスト・ヨークシャー・リーズ出身のサッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。元イングランド代表。ポジションはミッドフィールダー。U-21イングランド代表の最多出場記録(46試合)保持者である。

【生い立ち】
小学校時代はクリケット選手としての才能を認められており、さらに短距離走や長距離走で地区記録を出したことがある。リーズ・ユナイテッドFCのユース時代は、トップチームのMFデヴィッド・バティのような選手を目指しており、自身の本職はセンターハーフだと語っている。




【衝撃のクラブ経歴】
リーズ、ニューカッスル
2002年11月にリーズ・ユナイテッドFCからデビューを果たすと、12月26日のサンダーランドAFC戦で得点し、ウェイン・ルーニーが持っていたFAプレミアリーグ最年少得点記録を更新した。このときミルナーは16歳357日で、2ヶ月前に達成されたルーニーの記録(16歳360日)を3日塗り替えた。この記録は現在はエヴァートンFC所属のジェームズ・ヴォーンが保持している。サンダーランドAFC戦の2日後のチェルシーFC戦でもゴールを決めた。2004年7月7日、クラブがFLチャンピオンシップ(2部)に降格し、さらに財政難に陥っていたために、ニューカッスル・ユナイテッドFCに売却された。この際、「ベンチに置かれ、才能がつぶれるのでは」との声が聞かれたが、その噂を打ち崩す活躍でレギュラーを奪取した。

アストンビラ
2008年8月29日に契約内容の問題でニューカッスルを退団し、アストン・ヴィラFCへ移籍した。2009年夏にセンターハーフのギャレス・バリーがマンチェスター・シティに移籍し、ウイングが本職のスチュワート・ダウニングがミドルズブラFCから加入すると、自身が望んでいたセンターハーフにコンバートされた。2009-10シーズンは36試合に出場して7得点を決め、プレミアリーグの最優秀若手選手とベストイレブンに選ばれた。またキャリアベストとなる12アシストを記録した。
マンチェスター・シティ
2010年8月18日、スティーヴン・アイルランド+1800万ポンドのトレードでマンチェスター・シティFCに完全移籍し、チーム初のプレミアリーグでの優勝含む二度のリーグ優勝、FAカップ優勝などに貢献。2013年1月のアーセナル戦では1975年以来となるアーセナル戦の勝利に導くゴールを決めた。

リヴァプール
2015/16シーズン
マンチェスター・シティFCからの再契約のオファーを断り、自身が希望する中央のポジションで出場機会を得るために2015年6月4日、リヴァプールFCへの移籍が発表された[5][6]。2014-15シーズン限りで5年間の契約を満了していたため、フリー移籍となった。ミラー誌のインタビューでミルナーは「シティを去るのは難しい決断であった」そして「この移籍の決断が僕にとって良いものになると信じている。多くの試合に出場し、このクラブが進める改革を達成するのに貢献したい」と意気込みを語った[7]。背番号はルイス・スアレス、またレッズの伝説的な選手であるケニー・ダルグリッシュやケビン・キーガンの着けていた7番に決定した[8]。背番号について「7番がこのクラブで特別な意味を持つことを知っている。僕もこのクラブの特別な選手の仲間入りするために最善を尽くすよ」とリバプールの入団記者会見にて抱負を語った、ロジャースが解任され、クロップが監督に就任すると、サイドハーフとしてプレー、リバプールの副キャプテンとして、リーグ戦ではチーム最多で、リーグではデレ・アリと並ぶ4位タイの11アシストを記録、またリーグカップ決勝と、ヨーロッパリーグ決勝進出に貢献した。

2016/17シーズン
ミルナーは、リバプールエコーのインタビューで、リバプールの左サイドバックが不安定である為、ユルゲン・クロップから左サイドバックをやる事を頼まれた事を認め、あまり好きではないが、監督から頼まれれば全力を尽くすとコメントし、2016-17年シーズンからは左サイドバックを務めている。 またコーナーキックやPKも任されている。2017年3月19日のマンチェスターシティとの試合でリーグ通算450試合出場を達成、この試合でPKを成功させてリーグ通算50得点を記録、またミルナーがPKを決めた試合では負けないという記録を47試合まで伸ばし、これまでダリウス・ヴァッセルが持つ記録を破った。

【プレースタイル解析】
様々なポジションをこなせるユーティリティープレーヤーであり、両足を使い分ける器用さにサイドを疾走する高速ドリブルや冷静さを持ち合わせる。両サイドでプレーが可能で、クロスの精度も良く、クロスからのアシストも多い、(キャリアでは110以上のアシストを記録している。)また時折見せる強烈なミドルシュートが魅力の選手。派手なプレーは少ない為、イギリスの一部の評論家からはプレーが単調だと評される。クロップはミラー紙のインタビューでミルナーのプレーについて聞かれると、ミルナーは自分が指導した中で5本の指に入る偉大な選手で、単調だというのは、プレーではなく、リーズ時代から変わらないミルナーの髪型の事だとジョークで答えている。ポール・ガスコインを憧れの選手に挙げている。




【注目の動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【6】
センス【7】
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2017年09月30日

ジェームズ・ウォード=プラウズ(James Michael Edward Ward-Prowse)〜イングランドの新星〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はジェームズ・ウォード=プラウズ選手です。

プレミアリーグ大注目・期待の若手です。

【経歴】
ポーツマスで生まれ、2003年からサウサンプトンFCのユースチームでキャリアをスタートさせ、2011年にトップチーム昇格を果たした。10月24日、フットボールリーグカップのクリスタル・パレスFC戦でプロデビューを果たした。

19歳のプラウズは今シーズン、素晴らしい成績を残しているポチェッティーノ監督の率いるチームに送られたプレゼントである。
正確な技術を誇るミッドフィルダーで、18歳ながらセットプレーのキッカーを任されている

【動画】



総合評価
攻撃力【7】
守備力【6】
センス【7】
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2017年02月18日

ニウマール・オノラート・ダ・シウバ(Nilmar Honorato da Silva)〜フランスのサッカーに馴染めず、ホームシックに〜

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本日紹介する選手はニウマール・オノラート・ダ・シウバ選手です。




ブラジル・パラナ州バンデイランテス出身のサッカー選手。アラビアン・ガルフ・リーグ・アル・ナスルSC所属。元ブラジル代表。ポジションはフォワード。

クラブ[編集]
SCインテルナシオナル[編集]
SCインテルナシオナルの下部組織出身で、2003年と2004年はトップチームに在籍した。
オリンピック・リヨン[編集]
2004年夏、放出したFWエウベルの穴埋めを探していたフランスのオリンピック・リヨンに移籍金675万ユーロ(約8億8400万円)で引き抜かれた。デビュー戦となったスタッド・ランス戦で途中出場ながら2得点し、鮮烈なリーグ・アンデビューを飾るが、フランスのサッカーに馴染めず、ホームシックにもかかり、それ以後はリーグ戦の得点がなかった。
コリンチャンス[編集]
2005年夏にはFWフレッジが加入したため、出場機会を求めて母国のコリンチャンスにレンタル移籍した。コリンチャンスではカルロス・テベスと2トップを組んで好結果を残したが、オリンピック・リヨンにはフレッジの他にFWシルヴァン・ヴィルトール、FWミラン・バロシュ、FWシドニー・ゴブがおり、前線の選手が足りていたため、コリンチャンスへ完全移籍した。
SCインテルナシオナル復帰[編集]
2007年8月17日、裁判の結果コリンチャンスとの契約が解除され、どのクラブとの交渉も可能になった。ブラジルやヨーロッパの主要なクラブのいくつかが興味を示していたが、9月に古巣SCインテルナシオナルと契約し、11月4日のCRヴァスコ・ダ・ガマ戦でデビューし、いきなりマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。2008年1月のドバイカップ決勝ではイタリアのインテル・ミラノを破る得点を挙げた。2008年夏にはUSチッタ・ディ・パレルモが移籍金1500万ユーロでニウマールの獲得を狙い、ASローマからも関心を示されたが、その申し出を拒否した[1] [2]。12月にはコパ・スダメリカーナ決勝で決勝点を決め、ブラジルのクラブとして初めて同タイトルを獲得したクラブとなった。SCインテルナシオナルでは78試合35得点と高いゴール決定率を誇った。
ビジャレアルCF[編集]
2009年7月27日、5年契約でビジャレアルCFへ移籍した[3]。具体的な移籍金は明かされていないが、フェルナンド・ロイグ会長が「クラブ史上最高額だ」と明かしていることから移籍金は1000万ユーロ(約13億5000万円)以上といわれている[4]。入団発表が行われた本拠地エル・マドリガルには4000人のファンがつめかけた[5]。8月30日、シーズン開幕戦のCAオサスナ戦で先発出場してデビューを飾り、9月25日のレフスキ・ソフィア戦で移籍後初得点となる決勝点を決めた[6]。 10月25日のマラガCF戦でリーガ・エスパニョーラ初得点を決めた。中盤戦まではホセバ・ジョレンテとの併用の形だったが、2010年1月に3試合連続ゴールを決めてからは多くの試合で先発出場するようになった。チームのフォワード中トップの先発回数を記録し、2009-10シーズンはリーグ戦で11得点を決めた。
アル・ナスルSC[編集]
2015年7月31日、UAEのアル・ナスルSCと合意に達したと発表した。契約期間は2年である。
代表[編集]
2003年7月13日、CONCACAFゴールドカップのメキシコ戦でブラジル代表デビューし、決勝でメキシコに敗れたその大会で3試合に出場した。ブラジル代表はU-23代表を大会に送り込んだが、FIFAにはフル代表として認識されている。2004年8月18日、6-0で勝利したハイチ戦で初得点した。4年のブランクの後、2008年8月29日のチリ戦とボリビア戦のためにドゥンガ監督によって代表に招集された。ラファエル・ソビスが負傷により代表を外れていた。2009年6月10日、2010 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦でフェリペ・メロのクロスから決勝点を決めた[7]。
2009年6月、南アフリカでのFIFAコンフェデレーションズカップに出場するメンバーに選ばれた[8]。自身の出場は1試合だけだったが、イタリアやアメリカなどを破って優勝を果たした。2009年9月9日のチリ戦ではハットトリックを決め、4-2での勝利に貢献した[9] [10]。11月14日のイングランドとの親善試合では両チーム唯一の得点を決めた。その3日後のオマーンとの親善試合でも得点した。2010年5月にはFIFAワールドカップに出場するブラジル代表メンバーに選ばれた。10月7日のイランとの親善試合ではチームの3点目を決めた。
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【注目の動画】




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