2017年10月14日

ジオヴァニ・ロ・チェルソ(Giovani Lo Celso)〜〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はジオヴァニ・ロ・チェルソ選手です。

アルゼンチン・ロサリオ出身のサッカー選手。パリ・サンジェルマンFC所属。ポジションは攻撃的ミッドフィールダーおよびセントラル・ミッドフィルダーである。

【ロサリオ・セントラル】
2010年にCAロサリオ・セントラルの下部組織へ入団。2014年には2軍へ昇格。トップチームデビューは19歳の時にホームヒガンテ・デ・アロシート(スペイン語版)にて2015年7月19日に行われたCAベレス・サルスフィエルド戦で、78分に交代出場した試合がデビュー戦で結果は引き分けに終わった。次の出場試合は2015年8月1日に行われたCAサルミエント(スペイン語版)戦で初めて、マルコ・ルベンのゴールをアシストした。試合は1-1の引き分けに終わった。

【パリ・サンジェルマン】
2016年7月26日、フランス・パリ・サンジェルマンFCと5年契約を締結したが、同年12月31日までは古巣ロサリオ・セントラルに期限付き移籍の形で残留しプレーすることになった。


ロサリオ・セントラルでの印象的なパフォーマンスのために、ロルセッソは2016年の夏季オリンピックのためにアルゼンチンのU23チームに電話をかけた。ロッシーソは2016年8月4日、アルゼンチンのU23デビュー戦でポルトガル戦に2-0で敗れ、クリスティアン・エスピノーザを72分に代えた。





【注目の動画】


総合評価
攻撃力【2】
守備力【4】
センス【8】


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2017年02月18日

ゴンサロ・イグアイン(Gonzalo Gerardo Higuaín)〜(バティ+クレスポ)÷2〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はイグアイン選手です。

フランス・ブルターニュ地域圏フィニステール県ブレスト出身のアルゼンチン人サッカー選手。セリエA・SSCナポリ所属。アルゼンチン代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。

【フランスにルーツ】
アルゼンチン時代
フランスのブレストでサッカー選手の父の下に生まれ、イグアインが生後10ヶ月の時に一家はアルゼンチンへと移った。アルゼンチンの名門CAリーベル・プレートのユースに加入したイグアインは、2005年5月29日のヒムナシア・ラ・プラタ戦でデビュー。若くして頭角を現し、2006年10月8日のボカ・ジュニアーズとのスーペルクラシコでは2得点を挙げ、注目を浴びる。2006-07シーズンの冬のオフ、1200万ユーロ(当時のレートで約20億円)でレアル・マドリードへと移籍。

レアル・マドリード
2006-07、2007-08シーズンでは主に3トップの右ウイングとして起用された。2007-08シーズンではイグアインの先発により、ロビーニョがベンチを暖める機会が増えた。2007-08シーズンのアウェイでの優勝をかけた第35節オサスナ戦では、後半の途中から出場。終盤にフリーキックからアリエン・ロッベンのヘディングでの同点ゴールをアシストすると、試合終了間際には自ら優勝を決める決勝ゴールを決めた。更に第36節のFCバルセロナとのエル・クラシコでは後半の途中から出場し、ファーストタッチでゴールを決めた。この2試合を含む4試合連続途中出場でゴールを記録するなど、切り札としてレアル・マドリードのリーガ連覇に大きく貢献した。2008-09シーズン途中からチーム事情(シーズン序盤にロビーニョ放出、ファン・ニステルローイが長期離脱)により、CFを任されることが増え、ラウル・ゴンサレスとの2トップを形成した。このシーズン、マラガ戦では不調のチームの中でイグアインが一人気を吐き、4得点を挙げてチームを勝利へと導いた。最終的にこのシーズン22得点を挙げチーム得点王となる活躍を見せた。
2009-10シーズンも、クリスティアーノ・ロナウド、カカ、カリム・ベンゼマといったそうそうたるアタッカーの加入により、開幕戦こそスターティングメンバーに名を連ねることが出来なかったが、徐々に信頼を得ると主将のラウル、ベンゼマからレギュラーを勝ち取り、前年を超えるハイペースでゴールを量産。シーズン初ゴールは開幕から7週間後となる10月中旬であった。しかし、最終的にリーグ戦で前シーズンを上回る27得点を挙げ、リーガの得点ランク2位となった。 ゴールをコンスタントに決めることから、マヌエル・ペジェグリーニ前監督からの信頼も厚かった。




ベスト16に終わったチャンピオンズリーグ、リヨン戦の2ndレグでは、ゴールキーパーをかわした後に無人のゴールに決められなかったこと、ディフェンスが3人いたにも関わらずフリーだったクリスティアーノ・ロナウドにパスを出さなかったことなどから戦犯の一人と見なされ、チームの第2キャプテンであるグティから暗に批判された。

2010年には2016年まで契約を延長。ラウルが移籍してクリスティアーノ・ロナウドが背番号7を求めたことにより空き番となったエースナンバー9番を背負うという話が出た際には背番号20に対する愛着を語り、変更しないことを望んだ。ジョゼ・モウリーニョが監督に就任した2010-11シーズンは1トップを任されるもゴールが遠く、序盤戦は不調に喘いだ。その後は徐々に復調の兆しを見せ、11月3日に行われたチャンピオンズリーググループステージのACミラン戦では、前半終了間際にアンヘル・ディ・マリアのパスからクラブの欧州大会通算700点目となる先制点を挙げた。このシーズンは18試合で10得点と高い得点率を誇っていたものの、その後椎間板ヘルニアによって離脱。12月1日に精密検査を受けた結果、手術が必要であると判断され、翌年1月11日にシカゴにて手術を行った。手術の直前に行われたビジャレアル戦の試合前、チームメイトはイグアインへのメッセージが書かれたTシャツを着て励ました。

4月3日のスポルティング・デ・ヒホン戦で後半から途中出場。メスタージャでのバレンシア戦では、復帰後初ゴールを含むハットトリックを達成した。バルセロナとのチャンピオンズリーグ第2戦でも後半開始直後にゴールネットを揺らしたが、直前のハビエル・マスチェラーノに対するクリスティアーノ・ロナウドのファウルが取られたことにより得点は取り消された。

2011-12シーズンの開幕前プレーオフで好調だったベンゼマとは対照的にあまり調子の上がらなかったイグアインは、開幕戦をベンチスタートで迎えることとなった。その後もモウリーニョはベンゼマを信頼し、イグアインはほとんどの試合で先発メンバーに選ばれなかった。しかしその後、チャンピオンズリーグのアヤックス戦でベンゼマは左足長内転筋を負傷。第7節RCDエスパニョール戦で先発のチャンスを得るとハットトリックを記録し、復調を印象づけた。さらに次のレアル・ベティス戦でも2試合連続でハットトリックを達成した。

PKを蹴らないにも関わらず時間当たりの得点率はクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシを超えて欧州5大リーグでトップであったが、ベンゼマとのレギュラー争いに敗れ、エル・クラシコやチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦などを始めベンチスタートとなる日々が続いた。そのことからシーズン終了後の移籍の噂が後を絶たず、ユヴェントスFCやパリ・サンジェルマンFC、チェルシーFC、マンチェスター・シティFCなど多くのクラブからの関心が伝えられた。

ナポリ
2012-13シーズン終了後、移籍を希望し、ユヴェントスFCやアーセナルFCが獲得に動いた。2013年7月24日、SSCナポリ移籍が決定。契約は5年間。 レアル・マドリード時代の同僚であったアルビオル、カジェホンとはここでも同僚になる。

【代表】
2010 FIFAワールドカップの監督でもあったディエゴ・マラドーナからは「バティとクレスポの資質を備えている」と評され、クレスポ自身も代表での後継者として指名した。

【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【8】
posted by よしき at 05:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

マウロ・イカルディ(Mauro Emanuel Icardi Rivero)〜若きインテルのキャプテン〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はイカルディ選手です。

アルゼンチン・ロサリオ出身のサッカー選手。インテル・ミラノ所属。ポジションはFW。

【経歴】
アルゼンチンのロサリオで生まれ、6歳のときにスペインに移住した。2001年からUCベシンダリオのユースチームでキャリアをスタートさせ、ユース世代のカテゴリーで500ゴール以上を記録した。2008年にFCバルセロナやレアル・マドリード、バレンシアCF、セビージャFC、RCDエスパニョール、デポルティーボ・ラ・コルーニャ、アーセナルFC、リヴァプールFCといったクラブからオファーが入るがFCバルセロナに移籍した。

2011年の1月、UCサンプドリアのユースチームにレンタル移籍し、7月に完全移籍した。2012年5月12日、SSユーヴェ・スタビア戦でプロデビューを果たした。

2012-2013シーズン前半は出場機会に恵まれなかったが、マキシ・ロペスの怪我でチャンスを得ると2012年11月18日のジェノヴァ・ダービーで初の先発出場を果たし、初ゴールも決めた。2013年1月6日のアウェイのユヴェントス戦では2ゴールをあげ勝利に貢献。1月27日のペスカーラ戦では4ゴールをあげる活躍を見せた。このシーズンは最終的にリーグ戦で31試合に出場し10ゴールをあげ、チーム内得点王となった。

2013年6月、インテル・ミラノへの移籍が決定。背番号はロナウドやサミュエル・エトオといった名手が着けた9番であり、歴代の選手の中でも最年少で9番を背負うことになった(それまでの最年少はロナウド)。7月27日のハンブルガーSVとのプレシーズンマッチで移籍後初ゴールとなる先制点をあげた。
8月18日のコッパ・イタリア3回戦ASチッタデッラ戦で先発出場し、インテルでの公式戦デビューを果たした。9月14日のセリエA第3節イタリアダービーでは後半23分から途中出場し、同28分には自身の移籍後公式戦初ゴールとなる先制点をあげた。
2014-15年のシーズンは22得点を挙げ、得点数タイのルカ・トーニと共に22歳でセリエA得点王となった。
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【エピソード】
バルサの下部組織に入る前、イカルディはメッシのサインが入った写真をバルサのスタッフからプレゼントされた。ちなみにメッシもイカルディと同じロサリオ出身である。
愛車は黄色のハマー。バルセロナで中古車を見つけ、直ぐに購入した。
右腕に家族全員の名前のタトゥーがある。
二重国籍を有するためA代表はイタリア代表とアルゼンチン代表のどちらかを選ぶ事が出来るが、本人はアルゼンチン代表でのプレーを望んでいる。
【悪童】
2013年12月、同胞でサンプドリア時代のチームメイトであるマキシ・ロペスの妻でモデルのワンダ・ナラとの不倫が発覚し、母国の英雄ディエゴ・マラドーナから非難を受けた。

【動画】


総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 03:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

ハビエル・パストーレ(Javier Matías Pastore)〜アルゼンチンのカカ!?〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はハビエル・パストーレ選手です。

アルゼンチン・コルドバ出身のサッカー選手。リーグ・アン・パリ・サンジェルマンFC所属。アルゼンチン代表である。ポジションはミッドフィールダー。
2008年、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのCAウラカンにレンタル移籍し、5月24日のリーベル・プレート戦(0-1)でデビューした。クラウスーラ2009で飛躍的に成長し、プレーメーカーとしての才能を惜しみなく発揮した。1試合2得点を3回達成するなど得点意識が高く、最終的に7得点3アシストを記録してチーム内得点王になり、マティアス・デフェデリコとともに最終節まで優勝を争ったCAウラカンの柱であった。同シーズンのCAリーベル・プレート戦でのプレーは特に称賛されている。25ヤードの距離から先制点となるミドルシュートを決め、さらに追加点も決めて4-0の勝利に導いた。CAウラカンがCAリーベル・プレートに対して4点差を付けて勝利するのは60年以上ぶりであった。ミゲル・アンヘル・カッパ監督には「アルゼンチン代表でフアン・ロマン・リケルメの後を継げるのは彼しかいない」と称賛され、2009年夏にはマンチェスター・ユナイテッドFC、FCポルト、ACミラン、チェルシーFCなど、ヨーロッパの多くのクラブから興味を示された。
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2011年8月6日、フランスのパリ・サンジェルマン(以下PSGと表記)がパストーレとの契約を公式に発表し、背番号は27に決まった。この際に明らかにされた移籍金は3980万ユーロであり、4200万ユーロなどとも報道されたが、第三者として選手の所有権を持つ代理人のマルセロ・シモニアンによれば、(代理人手数料が含まれているかいないかは定かでないが)2150万ユーロしか支払われておらず、パレルモは2280万ユーロしか支払っていないことをウェブサイトで公表している。なお、PSGが公表している移籍金が正しければ、2000年のニコラ・アネルカの例(3350万ユーロでレアル・マドリードからPSGに移籍)を上回ってリーグ・アン史上最高額の移籍金となる。FIGCはいかなるイタリアのクラブにも第三者が選手の所有権を保持することを認めておらず、ザンパリーニ会長自身が罪に問われる危険にさらされているにもかかわらず、ザンパリーニ会長は法的手段行使に動き始めた。
移籍初年度の2011-12シーズンは9月11日のスタッド・ブレスト戦で移籍後初ゴールを決めると、その後は13ゴール6アシストと大型補強を行ったクラブを牽引し、8シーズンぶり2位へと導いた。

【動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【8】
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エリク・ラメラ(Erik Manuel Lamela)〜ベイルの後継者〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はエリック ラメラ選手です。

アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身のサッカー選手。プレミアリーグ・トッテナム・ホットスパーFC所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。アルゼンチン代表。レフティ。

CAリーベル・プレート
12歳だった2004年にはスペインのFCバルセロナが獲得に乗り出したが、CAリーベル・プレートが両親を説き伏せ引き止めた経緯がある。
2009年6月、CAティグレ戦でデビューを果たした。2010年12月4日、コロン・デ・サンタフェ戦で初ゴールを記録した。
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ASローマ

2010-11シーズンにリーベル・プレートがクラブ史上初となる2部降格となったこともあり、2011年8月6日にASローマへ移籍金1200万ユーロ(最大1700万ユーロ)、5年契約で移籍することが発表された[3][4]。負傷のためデビューが遅れたが、10月23日のUSチッタ・ディ・パレルモ戦で初先発初出場を果たすと、前半7分にこの試合唯一の得点となるセリエA初ゴールを挙げた。2012-13シーズンの第32節トリノFC戦で決勝ゴールを決め、その節のベストイレブンに選出された。
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トッテナム・ホットスパーFC
2013年8月28日、ローマはラメラのトッテナム・ホットスパーFC移籍を発表。移籍金は3000万ユーロ(約51億円)に加え成績に応じたボーナス500万ユーロ、背番号11をレアル・マドリードへ移籍したガレス・ベイルから受け継いだ。 加入1年目の2013-14シーズンは怪我に苦しんだものの、翌2014-15シーズンからは徐々に本領を発揮。UEFAヨーロッパリーググループC第3節アステラス・トリポリス戦では見事なラボーナでゴールを決めた。プレミアリーグ第17節のバーンリーFC戦ではペナルティエリア右手前からカットインして見事なミドルシュートを叩き込み、チームを勝利に導いた。

【代表デビュー】
2011年5月25日のパラグアイとの親善試合でアルゼンチン代表デビューを果たした。
2011 FIFA U-20ワールドカップでは背番号10をつけて出場。グループリーグのメキシコ戦で決勝点を挙げると、決勝トーナメント1回戦のエジプト戦では2本のPKを決め、アルゼンチンのベスト8進出に貢献した。
2014年9月3日のドイツとの親善試合で、アンヘル・ディ・マリアのクロスをボレーシュートで決め代表初得点を挙げた。
コパ・アメリカ2015に臨む代表メンバーに選出された。

【動画】






総合評価
攻撃力【9】
守備力【5】
センス【8】
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