2016年11月26日

ハビエル・パストーレ(Javier Matías Pastore)〜アルゼンチンのカカ!?〜※FIFA20 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はハビエル・パストーレ選手です。

アルゼンチン・コルドバ出身のサッカー選手。リーグ・アン・パリ・サンジェルマンFC所属。アルゼンチン代表である。ポジションはミッドフィールダー。
2008年、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのCAウラカンにレンタル移籍し、5月24日のリーベル・プレート戦(0-1)でデビューした。クラウスーラ2009で飛躍的に成長し、プレーメーカーとしての才能を惜しみなく発揮した。1試合2得点を3回達成するなど得点意識が高く、最終的に7得点3アシストを記録してチーム内得点王になり、マティアス・デフェデリコとともに最終節まで優勝を争ったCAウラカンの柱であった。同シーズンのCAリーベル・プレート戦でのプレーは特に称賛されている。25ヤードの距離から先制点となるミドルシュートを決め、さらに追加点も決めて4-0の勝利に導いた。CAウラカンがCAリーベル・プレートに対して4点差を付けて勝利するのは60年以上ぶりであった。ミゲル・アンヘル・カッパ監督には「アルゼンチン代表でフアン・ロマン・リケルメの後を継げるのは彼しかいない」と称賛され、2009年夏にはマンチェスター・ユナイテッドFC、FCポルト、ACミラン、チェルシーFCなど、ヨーロッパの多くのクラブから興味を示された。
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2011年8月6日、フランスのパリ・サンジェルマン(以下PSGと表記)がパストーレとの契約を公式に発表し、背番号は27に決まった。この際に明らかにされた移籍金は3980万ユーロであり、4200万ユーロなどとも報道されたが、第三者として選手の所有権を持つ代理人のマルセロ・シモニアンによれば、(代理人手数料が含まれているかいないかは定かでないが)2150万ユーロしか支払われておらず、パレルモは2280万ユーロしか支払っていないことをウェブサイトで公表している。なお、PSGが公表している移籍金が正しければ、2000年のニコラ・アネルカの例(3350万ユーロでレアル・マドリードからPSGに移籍)を上回ってリーグ・アン史上最高額の移籍金となる。FIGCはいかなるイタリアのクラブにも第三者が選手の所有権を保持することを認めておらず、ザンパリーニ会長自身が罪に問われる危険にさらされているにもかかわらず、ザンパリーニ会長は法的手段行使に動き始めた。
移籍初年度の2011-12シーズンは9月11日のスタッド・ブレスト戦で移籍後初ゴールを決めると、その後は13ゴール6アシストと大型補強を行ったクラブを牽引し、8シーズンぶり2位へと導いた。

【動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【8】
posted by よしき at 21:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エリク・ラメラ(Erik Manuel Lamela)〜ベイルの後継者〜※FIFA20 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はエリック ラメラ選手です。

アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身のサッカー選手。プレミアリーグ・トッテナム・ホットスパーFC所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。アルゼンチン代表。レフティ。

CAリーベル・プレート
12歳だった2004年にはスペインのFCバルセロナが獲得に乗り出したが、CAリーベル・プレートが両親を説き伏せ引き止めた経緯がある。
2009年6月、CAティグレ戦でデビューを果たした。2010年12月4日、コロン・デ・サンタフェ戦で初ゴールを記録した。
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ASローマ

2010-11シーズンにリーベル・プレートがクラブ史上初となる2部降格となったこともあり、2011年8月6日にASローマへ移籍金1200万ユーロ(最大1700万ユーロ)、5年契約で移籍することが発表された[3][4]。負傷のためデビューが遅れたが、10月23日のUSチッタ・ディ・パレルモ戦で初先発初出場を果たすと、前半7分にこの試合唯一の得点となるセリエA初ゴールを挙げた。2012-13シーズンの第32節トリノFC戦で決勝ゴールを決め、その節のベストイレブンに選出された。
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トッテナム・ホットスパーFC
2013年8月28日、ローマはラメラのトッテナム・ホットスパーFC移籍を発表。移籍金は3000万ユーロ(約51億円)に加え成績に応じたボーナス500万ユーロ、背番号11をレアル・マドリードへ移籍したガレス・ベイルから受け継いだ。 加入1年目の2013-14シーズンは怪我に苦しんだものの、翌2014-15シーズンからは徐々に本領を発揮。UEFAヨーロッパリーググループC第3節アステラス・トリポリス戦では見事なラボーナでゴールを決めた。プレミアリーグ第17節のバーンリーFC戦ではペナルティエリア右手前からカットインして見事なミドルシュートを叩き込み、チームを勝利に導いた。

【代表デビュー】
2011年5月25日のパラグアイとの親善試合でアルゼンチン代表デビューを果たした。
2011 FIFA U-20ワールドカップでは背番号10をつけて出場。グループリーグのメキシコ戦で決勝点を挙げると、決勝トーナメント1回戦のエジプト戦では2本のPKを決め、アルゼンチンのベスト8進出に貢献した。
2014年9月3日のドイツとの親善試合で、アンヘル・ディ・マリアのクロスをボレーシュートで決め代表初得点を挙げた。
コパ・アメリカ2015に臨む代表メンバーに選出された。

【動画】






総合評価
攻撃力【9】
守備力【5】
センス【8】
posted by よしき at 15:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ニコラス・ガイタン(Osvaldo Nicolás Fabián Gaitán)〜ベンフィカのピカソ〜※FIFA20 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はニコラス・ガイタン選手です。

ベンフィカの天才!

アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身のサッカー選手。SLベンフィカ所属。アルゼンチン代表である。ポジションはMF。

ボカ・ジュニアーズ
ボカ・ジュニアーズの下部組織出身であり、2008年6月1日のアルセナルFC戦(3-1)でトップチームデビューした。8月31日のCAウラカン戦(アウェー、3-0)ではプロ初得点を含む2得点を挙げた。9月23日、コパ・スダメリカーナのLDUキト戦では国際大会で初となる得点を挙げた。LDUキト戦の2日後のニューウェルズ・オールドボーイズ戦(4-2)では再びスコアボードに名前を刻んだ。10月26日のロサリオ・セントラル戦ではロスタイムに決勝点を挙げてチームを勝利に導いた。2009-10シーズンはフォワードなど本職でないポジションにも挑戦し、9節のCAティグレ戦では2得点、11節のCAチャカリタ・ジュニアーズでは1得点、15節のヒムナシア・ラ・プラタ戦(4-0)でも1得点を挙げた。
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SLベンフィカ
2010年5月3日、ポルトガルのSLベンフィカへの移籍が確実となった。6月3日に入団記者会見が行われ、かつてシモン・サブローザやアンヘル・ディ・マリアが背負った背番号20を受け取った。SLベンフィカはディ・マリアをレアル・マドリードに放出しており、その代役を探していた。移籍金は840万ユーロであり、オスカル・カルドソを獲得した際の1160万ユーロに次いでSLベンフィカ史上2番目に高額な移籍金であった。SLベンフィカでは左翼を任され、アカデミカ・コインブラ戦(2-1)でデビューを果たした。ナヴァル戦(4-0)で移籍後初得点を含む2得点を記録した。2010-11シーズンは26試合に出場して7得点し、ジョルジェ・ジェズス監督のチームで軸となる選手のひとりであった。2011年6月30日、同シーズンの最優秀若手選手賞を受賞した。

代表
2009年9月30日、ガーナとの親善試合(2-0)に途中出場してアルゼンチン代表デビューした。2010年1月26日のコスタリカ戦(3-2)で初めて先発出場した。2014年10月14日の香港との親善試合で代表初得点を含む2ゴールを挙げた。

【動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【4】
センス【8】
posted by よしき at 00:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

ディエゴ・ミリート(Diego Alberto Milito)〜決定力抜群のスタローン〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はディエゴ・ミリート選手です。
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アルゼンチン・ブエノスアイレス州ベルナル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。元サッカー選手ガブリエル・ミリートは弟。愛称の「エル・プリンシペ(王子)」は、80年代から90年代に活躍した元ウルグアイ代表で、リーベル・プレートに在籍したスター、エンツォ・フランチェスコリに容姿がそっくりであることに因んでいる。

アルゼンチンのビッグ・クラブのラシン・クラブの歴史において、最大のアイドルの1人とされている。
1979年に彼が生を受けた時、父親はディエゴ・アルマンド・マラドーナにあやかってディエゴ・アルマンドと名づけようとしたが、妻や親族に反対されたため、ディエゴ・アルベルトという名になった。
家族中がCAインデペンディエンテのサポーターだったが、弟のガブリエルに対するライバル心からラシン・クラブを応援するようになり、9歳でラシン・クラブの少年部に入団した[3]。14歳で9軍(下部組織の一番下のカテゴリー)に入団し、1998年に4軍(1軍のすぐ下のカテゴリー)でリーグ優勝したことから1軍に昇格し、1999年12月11日にトップチームデビューを果たした。2001年のアペルトゥーラでは、35年ぶりのリーグ制覇に貢献した。
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常にFWとして安定した結果を残し高い評価を得ながらも、優勝を狙えるクラブでプレーをしないまま30歳を迎えたが、シーズン終了後ティアゴ・モッタとともにインテルへ移籍した。 2009-10シーズンはモウリーニョ監督から絶大な信頼を受け、ほぼ全試合にスターティングメンバーとして出場。サミュエル・エトオ、ゴラン・パンデフと3トップを組み、インテルのエースストライカーとして活躍。また圧倒的な勝負強さを誇り、チェルシーやACミラン、FCバルセロナ等のビッグクラブ相手にゴールを決めた。コッパ・イタリア決勝戦のASローマ戦でも決勝ゴールを挙げたミリートは、セリエA優勝がかかった2010年5月16日のシエナ戦でも決勝点を挙げ、「間違いなくキャリアでもっとも重要なゴールだ」と語った。このシーズンはチームトップ、リーグ2位の22得点を挙げた。
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2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では、バイエルン・ミュンヘンから2ゴールを挙げ、チームを優勝に導き、UEFA年間最優秀選手賞を受賞した。2011年1月、オスカル・デル・カルチョの最優秀選手賞と最優秀外国人選手賞をW受賞した。

【動画】

総合評価
攻撃力【9】
守備力【5】
センス【8】
posted by よしき at 23:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月26日

ホアキン・コレア(Carlos Joaquín Correa)〜憧れはベロン〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はホアキン・コレア選手です。

【基本情報】
国  籍:アルゼンチン
生年月日:1994年8月13日(20歳)
身  長:188cm
体  重:75kg
ポ ジ ション:OMF/CMF
所  属:UCサンプドリア
経  歴:CAリーベル・プレート・ユース
     ホルヘ・ソラーリ
     エストゥディアンテスU-20
     エストゥディアンテス
     UCサンプドリア
代表経歴:未招集




【特徴】
仕掛けのスピードが抜群な創造性溢れるMF。スター性も抜群だ。長身を生かした懐の深いボールキープがジダンを連想させるややクラシカルなタイプだが、スピード感に溢れ欧州にもすぐに順応出来るだろう。PSGが熱視線を送る。元アルゼンチン代表でエストゥディアンデスを南米一に導いたベロンが憧れのプレーヤーだ。

【動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【3】
センス【8】
posted by よしき at 12:00| Comment(0) | アルゼンチン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする