2016年02月09日

アニス・ベン=ハティラ(Änis Ben-Hatira)〜チュニジアにルーツを持つヘルタの10番・〜マスクパフォーマンス秘話

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こんにちわ

本日紹介する選手はハティラ選手です。

【経歴】
2003年ヘルタ・ベルリンの下部組織からテニス・ボルシア・ベルリンに移る。2006年にハンブルガーSVに移籍。リザーブチームで経験を積んだ後、2007年2月24日アイントラハト・フランクフルト戦でトップチームデビューを果たした。2009年冬に出場機会を求め2部のMSVデュイスブルクにレンタル移籍し、翌シーズンは1年のローン移籍をした。2011年夏、ヘルタ・ベルリンへ完全移籍。

【代表歴】
2007年にU-19ドイツ代表としてUEFA U-19欧州選手権に出場した。2009年にはU-21ドイツ代表にステップアップを果たし2009年のUEFA U-21欧州選手権に出場し優勝した。
2012年2月29日親善試合ペルー代表戦でチュニジア代表デビューをはたした。
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※ハティラ選手のマスクパフォーマンスは闘病中の少年に捧げるためだった
マスクパフォーマンスが厳格化されているドイツ・ブンデスリーガにおいて、ヘルタ・ベルリンに所属するアニス・ベン・ハティラ選手が、14日の対シャルケ戦で先制ゴールを決めた直後のパフォーマンスが多くの人に感動を与えています。
同リーグではマスクを着用するパフォーマンスは禁止されおり、ハティラ選手にはイエローカードが提示されました。しかし後日、彼のこのパフォーマンスは癌と戦う少年のために行ったことが明らかになったのです
そもそも何故これほどまでにマスクを被ることがタブー化されているのか、それは今回の話より前に幾度も行われたファンサービスのパフォーマンスにより、厳格化されていったようです。




今シーズンに入って、日本代表のMFである香川真司選手が所属するドルトムントのガボン代表FWピエール・エメリク・オーバメヤン選手が、ゴールを決めた時にファンサービスとしてスパイダーマンやバットマンのマスクを着用したことを受け、ブンデスリーガは3月から『試合中のマスク着用禁止』を発令していたそうです。

それにも関わらず、あえてタブーを破り、少年との約束を守ったハティラ選手の行動は正当性などの話題は置いておいて、人として多くの感動を呼ぶ結果になったようです。
今回、ハティラ選手が行ったマスクパフォーマンスは、とある少年に捧げるためだったのですが、その少年とはヘルタサポーターの8歳のヤニク君。彼は5ヶ月前に癌と診断され、それから闘病生活を続けている子で、彼はハティラ選手とある約束を交わしたそうです。
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その約束とは、
「彼は病気を完治させることを僕に誓い、僕は化学療法を受ける彼のそばに居続けると誓った。」
「半年以内にオリンピア・シュタディオンのファンのホームゲームで、彼の回復を祝いたいと思う。」
「彼の闘志は我々選手たちにも伝わることだろう。ヤニク、君は小さくて偉大な英雄だ!」と彼と約束したようです。

そんな小さいながらも懸命に癌と戦う少年にハティラ選手も「彼は小さな男の子だが、勇ましく病気と闘っている」と彼の勇気を讃えています。そんな彼の勇気が今回のパフォーマンスを生んだようです。

今回のパフォーマンスはただのファンサービスではなく、一人の少年のために行ったことが多くに人を感動させました。マスク1つ被ることで人を感動させられる、こんな素晴らしい選手、いや人間に私もなりたい!(笑

今回の件でさらにファンが増えると予想されるブンデスリーガのリーグ戦の今後も楽しみです。
【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【4】
センス【7】


posted by よしき at 22:50| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

シュテファン・キースリング(Stefan Kießling)〜料理本も出版〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はキースリング選手です。

ドイツ・リヒテンフェルス出身の同国代表サッカー選手。ブンデスリーガ・バイエル・レバークーゼン所属。ポジションはフォワード。

【クラブ】
FCアイントラハト・バンベルクから1.FCニュルンベルクの下部組織に移り、2001年にトップチームデビューした。ニュルンベルクではリーグ戦73試合に出場し、15得点を決めた。その活躍からアーセナルFCもオファーがあったが、2006年にバイエル・レバークーゼンに移籍した。
2007-08シーズンのUEFAカップでは7得点を決め、ルカ・トーニ(バイエルン・ミュンヘン)、パヴェル・ポグレブニャク(ゼニト・サンクトペテルブルク)に次いで得点ランキング3位にはいった。
2008-09シーズンはパトリック・ヘルメスとコンビを組み、自身は12ゴールを挙げた。ユップ・ハインケス監督が就任した2009-10シーズン序盤はヘルメスが怪我で離脱し、自身がフィニッシャーの役割を任せられたことから得点数が増加し、2009年11月のVfBシュトゥットガルト戦ではハットトリックを達成した。このシーズンは21ゴールを挙げ、ブンデスリーガ得点ランク2位となった。(1位はエディン・ジェコの22ゴール)
2012-13シーズン、25ゴールを挙げる活躍を見せ、ブンデスリーガ得点王に輝いた。
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【代表】
ドイツ代表としてU-21代表ではエースとして活躍し、2007年3月28日の対デンマーク戦でA代表デビューを果たした。
2010 FIFAワールドカップに臨むドイツ代表にも選ばれ、決勝トーナメントのイングランド戦とウルグアイ戦で途中出場している。しかし、その後はドイツ代表でプレーをする気はないと公言し、ヨアヒム・レーヴ監督下では代表選手になる事はないとも語っている。
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【エピソード】
愛妻家で、ゴールを決めるたびに妻と子供の名前が彫られたタトゥーにキスをしている。なお料理も得意で、料理本も出版している。
2015年3月8日に行われたブンデスリーガ第24節SCパーダーボルン07戦にて彼の強烈なシュートが相手GKルーカス・クルーゼの顔面に直撃し、クルーゼは一時的に気絶してしまった。




【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【4】
センス【7】
posted by よしき at 11:00| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マルコ・ロイス(Marco Reus)〜次世代ドイツ代表を担う悪童〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はマルコ・ロイス選手です。

ドイツ・ドルトムント出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・ボルシア・ドルトムント所属。ドイツ代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

【ドルトムント】
2012年夏にユース時代を過ごしたボルシア・ドルトムントに5年契約で移籍した。移籍金は1710万ユーロ。 移籍初年度は最終的にリーグ戦でリーグ6位の14得点を挙げる活躍を見せた。一方でUEFAチャンピオンズリーグでも、チームの1996-97シーズン以来の決勝進出に貢献した。
続く2013-14シーズンはリーグ戦で16得点を挙げた。この活躍が認められ、ドイツのプロサッカー選手会の会員より28.6%の支持で2013-14シーズンにおけるドイツ最優秀選手に選ばれた。
2015年2月10日、ボルシア・ドルトムントと2019年6月30日までの契約延長を発表した。

【代表】
2011年よりドイツ代表に招集されるようになった。代表初得点は2012年5月26日のスイスとの親善試合で記録。UEFA EURO 2012のドイツ代表にも選ばれ、準々決勝(6月22日)のギリシャ戦で得点を挙げ勝利に貢献した。
2014年6月2日に2014 FIFAワールドカップ本大会に向けた23人のメンバーに選出されたものの、直後の6月6日に行われたアルメニアとの親善試合において左足首のじん帯を部分断裂し、本大会欠場が決まった。

【エピソード】
2011年からスピード違反を繰り返しており、2014年3月に警察に止められた際に無免許運転が発覚。ドイツメディアによるとロイスは2009年にオランダの偽造免許証を購入し、自分に運転する資格が無い事を分かっていながらも運転を続けたため、文書偽造罪と判断され、54万ユーロの罰金が科された。

【動画】


総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 04:00| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月06日

ダニエル・ディダヴィ(Daniel Didavi)〜ドイツの若手有望株No1・超新星〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はディダヴィ選手です。

ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州出身のサッカー選手。ドイツ・ブンデスリーガ・VfBシュトゥットガルト所属。ポジションはMF。
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【基本情報】
生年月日1990年2月21日(25歳)
出身地バーデン=ヴュルテンベルク州の旗バーデン=ヴュルテンベルク州ニュルティンゲン
身長:179cm
体重:77kg
在籍チーム:VfBシュトゥットガルト
ポジション:MF
背番号:10
利き足:左足




【プレースタイル】
パス・ドリブル・シュート全てを高次元でこなす。
シュトゥットガルトの10番を担う超新星。
各方面の評論家が「次は絶対この選手!!」と太鼓判を押す。

【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【9】
posted by よしき at 23:33| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月05日

トーマス・ミュラー(Thomas Müller)〜新生ドイツの爆撃機〜 選手紹介:トーマス・ミュラー

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こんにちわ

本日紹介する選手はトーマス・ミュラー選手です。

ドイツ・ヴァイルハイム・イン・オーバーバイエルン出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属。ドイツ代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
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TSVペールでプレーしていたが、10歳だった2000年にバイエルン・ミュンヘンの下部組織に移った[1]。2007年にはU-19世代の全国リーグ戦で準優勝し、2008年3月にレギオナルリーガ(4部)のSpVggウンターハヒンク戦でリザーブチームデビューして初得点も決めた。2007-08シーズンはリザーブチームでもう2試合に出場し、引き続きU-19チームでもプレーしていた。2008年夏のプレシーズンにはトップチームに同行し、8月15日のハンブルガーSV戦でトップチームデビューした。

2008-09シーズンは新設されたドリッテリーガ(3部)でリザーブチームのキープレーヤーとなり、38試合のうち32試合に出場し、15得点を決めて得点ランク5位につけた。トップチームではこのシーズンに4試合に出場し、2009年3月10日のスポルティング・リスボン戦でUEFAチャンピオンズリーグデビューも果たしている。2009年2月、リザーブチームのDFホルガー・バトシュトゥバーとともにプロ契約を交わし、2009-10シーズンのトップチーム昇格を決めた[3]。同年には恋人と結婚し、20歳にして既婚者となった。

2009年夏にルイス・ファン・ハール監督が就任し、シーズン開幕前のアウディカップでACミラン戦などで得点を決める活躍を見せると、そのまま好調をシーズンでも維持した。9月12日のボルシア・ドルトムント戦では途中出場ながら2得点を決め、3日後のUEFAチャンピオンズリーグ・マッカビ・ハイファFC戦でも2得点を挙げる活躍を見せた。9月の月間最優秀選手にノミネートされ、同姓の偉大な選手であるゲルト・ミュラーから称賛の言葉をもらった。マッカビ・ハイファ戦以来、ほとんどの試合で先発出場し、2010年2月4日には2013年までの契約延長にサインした。シーズン後半にはしばしばセンターフォワードの位置でもプレーした。4月にはライバルのシャルケ04戦で決勝点を決め、VfLボーフム戦では初めてハットトリックを達成し、ブンデスリーガ優勝に貢献した。シーズンを通して34試合に出場し、13ゴール11アシストを決めた。DFBポカールでは大会を通じて4ゴール2アシストを決めて大会得点王となり、決勝でヴェルダー・ブレーメンに勝利して国内2冠を達成した。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝でクラブ初のトレブル(3冠)に挑んだが、インテル・ミラノに0-2で敗れた。ミュラーは先発出場し、後半が始まってすぐに惜しいシュートを放ったが、GKジュリオ・セーザルに防がれた。2009-10シーズンはすべての大会を通じて52試合に出場して19得点し、キッカー誌によってシーズン最優秀若手選手に選ばれた。2012年12月にバイエルンとの契約を2017年まで延長した。2012-13シーズンでは大会を通じて47試合で23得点し、バイエルン・ミュンヘンの三冠(トレブル)達成の原動力の一人として貢献した。

2015年8月29日に行われたブンデスリーガ第3節で、ブンデスリーガ200試合出場を達成した。
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2015年12月18日にバイエルン・ミュンヘンとの契約を2021年まで延長したことを発表した。

2004年にU-16ドイツ代表に選ばれた。2009年8月には初めてU-21ドイツ代表に選ばれ、トルコとの親善試合でデビューした。U-21代表では6試合に出場してサンマリノ戦で1得点を決めている。10月には、バイエルン・ミュンヘンでポジションを奪う活躍を見たヨアヒム・レーヴ監督によってドイツA代表に初招集された。ロベルト・エンケの死去などで試合がキャンセルされ、しばらく出場機会がなかったが、2010年3月3日、アルゼンチンとの親善試合でA代表デビューした。


2010年5月6日には2010 FIFAワールドカップに向けた代表候補27人に選ばれ、代表合宿中に自転車から落車するアクシデントなどもあったが、6月1日に発表された本大会登録メンバー23人に名を連ねた。怪我により代表を離脱したキャプテンミヒャエル・バラックや、同姓のゲルト・ミュラーが好んで着けていた背番号13を身にまとった。大会前までのA代表出場数はわずか5試合だったが、グループリーグ初戦のオーストラリア戦で代表初得点を決め、決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では2ゴール1アシストの活躍で、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。準々決勝のアルゼンチン戦では開始3分で先制点を挙げた。準決勝は警告累積で出場停止となり、このミュラー不在が響いてドイツは敗れたものの、3位決定戦でも先制点を挙げ、大会を通じて攻撃陣の核としてドイツを牽引した。大会通算5得点は、スペイン代表のダビド・ビジャ、オランダ代表のヴェスレイ・スナイデル、ウルグアイ代表のディエゴ・フォルランの3人と並びトップタイだったが、アシスト数が評価されて大会得点王にあたるゴールデンブーツ賞を受賞した。20歳での得点王は、ワールドカップ史上最年少の快挙だった。また最も活躍した若手選手に贈るベストヤングプレーヤー賞も受賞した。

2014年6月16日の2014 FIFAワールドカップ初戦、ポルトガル戦ではハットトリックを達成したが、第2戦ガーナ戦ではチャンスを作りながらなかなか得点できず、試合終了間際にガーナの選手と競り合った際に顔面を負傷した。史上初の2大会連続得点王とはならなかったが(5得点で2位)、ドイツ代表のワールドカップ優勝に貢献した。


総合評価
攻撃力【9】
守備力【6】
センス【6】
posted by よしき at 08:00| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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