2016年03月21日

マクスウェル(Maxwell Scherrer Cabelino Andrade)〜マクスウェルの方程式〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はマクスウェル選手です。

ブラジル・カショエイロ・ジ・イタペミリン出身のサッカー選手。リーグ・アン、パリ・サンジェルマンFC所属。

【プレースタイル】
ポジションは基本的に左サイドバックだが、左サイドならウイングやサイドハーフ、ウイングバック等どのポジションでもプレー可能で、更にセンターハーフでもプレーできる。インテルではイバン・コルドバやズラタン・イブラヒモビッチと言った足の速い選手がいる中でチームNO.1の俊足を誇っていた。なお、イブラヒモビッチとはアヤックス時代からのチームメイトで公私ともに仲が良い。

2000年にブラジルのクルゼイロECのユースチームでキャリアをスタートさせた。2001-2002シーズンにオランダのアヤックスへ移籍すると、1年目からコンスタントに出場し、2002-2003シーズンにはチャンピオンズリーグベスト8進出へ貢献。そして2003-2004シーズンにはリーグ最優秀選手に選出される活躍を見せ、同年にセレソンへ初選出された(ただし出場機会は無かった)。
2004-2005シーズンはシーズン終盤の2005年4月21日、KNVBカップ準決勝で右膝十字靭帯を断裂する大怪我を負うが、2006年1月31日にインテル入団が決定。一旦エンポリFCに登録した上で、7月13日に正式加入した。

2006-2007シーズンは序盤こそファビオ・グロッソに定位置を譲っていたが、彼の怪我や不調に伴い徐々に出場機会を増やすと、マイコンと共にサイドからの攻めを担った。ホームのパルマ戦ではセリエA初ゴールを記録し完全復活を印象付けた。しかし、2008-2009シーズンは若手のダビデ・サントンの台頭によって出場機会を失い、2009年7月15日にFCバルセロナへ移籍。移籍金は450万ユーロ+50万ユーロのオプション。出番こそ少なかったものの、エリック・アビダルの貴重な控えとしてチームに貢献した。
2012年1月12日、フランスのパリ・サンジェルマンFCに移籍金250万ユーロ(約2億4600万円)前後の2年半契約で移籍した。
2013年8月14日のスイス代表との親善試合でブラジル代表初出場を果たし、翌年の2014 FIFAワールドカップでも1試合に出場したが、2014年10月7日に代表引退を表明した。
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※マクスウェルの方程式
→電磁場のふるまいを記述する古典電磁気学の基礎方程式。マイケル・ファラデーが幾何学的考察から見出した電磁力に関する法則から1864年にジェームズ・クラーク・マクスウェルが数学的形式として整理し導いた。マクスウェル-ヘルツの電磁方程式、電磁方程式などとも呼ばれ、マクスウェルはマックスウェルとも表記される。

【注目の動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】


posted by よしき at 17:05| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オスカル(Oscar dos Santos Emboaba Júnior)〜チェルシーの万能型 新エース〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はオスカル選手です。

ブラジル・サンパウロ州出身のサッカー選手。プレミアリーグ・チェルシーFC所属。ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダー。

妻のルドミラ夫人は日系人。

クラブ
2004年からブラジルのウニオン・バルバレンセのユースチームでキャリアをスタートさせ、同年にサンパウロFCのユースチームに移籍。2008年にトップチーム昇格を果たした。2010年6月17日、SCインテルナシオナルに移籍。
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2012年7月25日、ロンドンオリンピックを前にしてイングランドのチェルシーFCに移籍が決定。8月19日のウィガン・アスレティックFC戦にエデン・アザールと交代で出場し、プレミアデビューを果たした。9月19日のユヴェントスFC戦ではUEFAチャンピオンズリーグ初出場を飾ると、チェルシーの全2得点を挙げる活躍をみせた。特に巧みなターンからゴール隅にミドルシュートを決めた2得点目は監督のロベルト・ディ・マッテオや相手GKのジャンルイジ・ブッフォンからも称賛を受けた[2][3]。 2014-15シーズンからニューヨーク・シティFCに加入することが決まったフランク・ランパードの後を継ぎ背番号8番を着用することが決定した。

代表
ブラジル代表として2011南米ユース選手権に出場し、チームの優勝に貢献した。ロンドンオリンピックでは全7試合に出場し銀メダル獲得に貢献した。
A代表では、2011年9月14日のアルゼンチンとの親善試合でデビュー。2012年6月9日の同じくアルゼンチンとの親善試合で代表初得点を挙げた。

【注目の動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】
posted by よしき at 14:17| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

レアンドロ・カスタン(Leandro Castán da Silva)〜ローマが誇る中距離砲〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はレアンドロ・カスタン・ダ・シウバ選手です。

ブラジル・サンパウロ州出身のサッカー選手。ASローマ所属。ポジションはDF。

2003年からブラジルのアトレチコ・ミネイロのユースチームでキャリアをスタートさせ、2005年にトップチーム昇格を果たした。2007年、ヘルシンボリIFに移籍した。2008年にグレミオ・バルエリに移籍しブラジルに復帰すると、レギュラーに定着。2010年にはコリンチャンスに移籍し、セリエA優勝とコパ・リベルタドーレス初優勝に貢献した。

2012年7月18日、イタリアのASローマに移籍金500万ユーロ、4年契約で移籍。同年8月26日のセリエA開幕戦のカターニア戦でセリエAデビュー。

2012年9月27日にマノ・メネーゼスによりイラクと日本との親善試合に向けたメンバーに選出され初招集を受け、10月16日の日本戦にフル出場し代表デビュー。

【動画】


総合評価
攻撃力【5】
守備力【8】
センス【8】
posted by よしき at 06:00| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダグラス・コスタ(Douglas Costa de Souza )〜長谷部もやられた超速エラシコ〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はダグラス・コスタ選手です。

ブラジル・リオグランデ・ド・スル州サプカイア・ド・スル出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属。ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

ロナウジーニョ2世と形容されることがある。グレミオのセルソ・ロッチ監督は、「彼はロビーニョを彷彿とさせる」と語っている。

2002年からグレミオに在籍している。2008年のボタフォゴFR戦でデビューした。同年のコパ・サンティアゴ・デ・フトボル・フニベル(U-17のトーナメント)で優勝した。同年のタッサ・ベロ・オリゾン・デ・ジュニオーレス(U-20のトーナメント)では決勝でクルゼイロを破って初優勝した。同年のブラジルU-20全国選手権では決勝でスポルチ・レシフェを破って優勝した。同年のブラジル全国選手権では準優勝した。グレミオとは2013年までの契約がある。

2010年1月10日、ウクライナのFCシャフタール・ドネツクと5年契約を結んだ。移籍金額は600万ユーロ。加入から4シーズン、シャフタールの四連覇に貢献した。

2015年7月、ドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンに移籍した[1]。契約期間は2020年6月30日までの5年契約となっている。ドイツ紙『ビルト』などは推定移籍金3000万ユーロ(約41億円)としている。背番号は11番。8月15日、開幕戦のハンブルガーSV戦に左WGとして先発し、移籍後初得点を決めるなど存在感を見せた。

2009年にブラジルU-20代表として南米ユース選手権に出場し、ワウテルに次ぐチーム2位の3得点を挙げ、優勝に貢献した。2009 FIFA U-20ワールドカップでは2試合に出場し1ゴールを挙げチームの準優勝に貢献した。

2014年11月12日のトルコとの親善試合でA代表デビュー。コパ・アメリカ2015のメンバーにも選出され、ブラジルの初戦である6月13日のペルー戦で、後半アディショナルタイムに代表初得点となる決勝ゴールを挙げた。
【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【3】
センス【8】
posted by よしき at 03:00| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

ジュリオ・セザル(Júlio César Soares de Espíndola)〜ドイツに7ゴールを奪われた〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はジュリオ・セザル選手です。

ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州ドゥッケ・デ・カシアス出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。

【多彩な経歴】
フラメンゴ
1997年に地元のクラブであるCRフラメンゴでプロ契約。2000年に定位置を奪取すると、2005年までに130試合に出場した。
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インテル
2005年1月14日にイタリアのインテルへ移籍した。しかし、EU外選手枠の関係から1月16日にACキエーヴォ・ヴェローナへ期限付き移籍する。キエーヴォでは出場機会がなかったが、インテルでは1年目の2005–06シーズンからロベルト・マンチーニ監督の信頼を得てフランチェスコ・トルドに代わる正GKとなる。このシーズンから始まったインテルのリーグ5連覇に貢献した。
2008-09シーズンにジョゼ・モウリーニョ監督が就任してからも守護神の座を譲らず、2009-10シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場。チャンピオンズリーグ、セリエA、コッパ・イタリアの三冠獲得を経験した。
2009年に契約を2014年まで延長。当時はキャリアの絶頂にあり、ジャンルイジ・ブッフォンやジャンルカ・パリュウカもセザルのパフォーマンスを称えた。また、2009-10シーズン終了後にトルドが現役を引退したため、翌シーズンより背番号1を引き継いだ。

その後もインテルの正GKを務めたが、モウリーニョがレアル・マドリードに移って以降は故障や細かいミスなどが目立つようになっていき、それと同時にチームの成績も低迷していった。
2012年、ウディネーゼからサミール・ハンダノヴィッチが移籍してきたことや減俸提示を受け入れなかったこともあり、背番号1を剥奪されて構想外となり、双方合意の上で契約を解除した。
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QPR
2012年8月29日、イングランドのQPRと4年契約を結んだ[5]。背番号は33。同じく新加入のロバート・グリーンが、8月17日のスウォンジーとの開幕戦で5失点するなど不安定なパフォーマンスを見せていたための緊急補強となった。9月15日のチェルシー戦でデビューを飾ると前年度チャンピオンズリーグ王者相手に攻守を披露し、0-0のスコアレスドローに持ち込んだ。

トロントFC
2014年2月14日、元チームメイトのライアン・ネルセン率いるメジャーリーグサッカーのトロントFCにレンタル移籍した。

SLベンフィカ
2014年8月19日、SLベンフィカがクラブの公式HPで2年契約を結んだと発表した。

【代表】
ブラジル代表では、2003年からジーダの控えとしてブラジル代表に招集されるも、出場機会は得られずにいた。しかしコパ・アメリカ2004では正GKとなり、初戦のチリ戦で代表初出場を記録すると全試合に出場。決勝のアルゼンチン戦ではPK戦で最初のアンドレス・ダレッサンドロのシュートを止め、ブラジルの優勝に貢献した。その後もジーダやマルコス、エウレリョ・ゴメス、ロジェリオ・セニ、ドニらと共に代表に招集され、2006年ドイツW杯に向けて互角の正GK争いをした。結局はジーダに正GKの座を譲ったが、ドイツW杯後にジーダが代表を退いてからは即座に正GKの地位を確保。南アフリカW杯のメンバーに選ばれたが、チームは準々決勝でオランダに敗れた。しかし、自身は決勝トーナメント1回戦まで2失点、オランダ戦での2失点で計4失点の成績を残した。南アフリカ大会以降は代表から遠ざかっていたが、2012年末に代表監督に就任したルイス・フェリペ・スコラーリからの信頼が厚く、すぐに代表の正GKに復帰。母国開催となったブラジルW杯にも選出された。決勝トーナメント1回戦のチリ戦では2本のセーブでブラジルを勝利に導いた。準決勝のドイツ戦で7失点、三位決定戦のオランダ戦で3失点を喫し、クラウディオ・タファレルが持っていたブラジル代表ワールドカップ最多失点記録をに更新することとなった。大会後、代表引退を表明。

【動画】


総合評価
攻撃力【3】
守備力【8】
センス【5】
posted by よしき at 23:08| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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