2017年02月17日

川又 堅碁 〜荒武者〜【新潟→愛媛→新潟→名古屋→磐田】



images.jpg
こんにちわ

本日紹介する選手は川又 堅碁選手です。

愛媛県西条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・名古屋グランパス所属。ポジションはフォワード。日本代表。

【経歴】
愛媛県立小松高校在学中の2006年、地元の愛媛FCに特別指定選手に登録される。同年、J2リーグ第41節水戸ホーリーホック戦で現役高校生ながらもJリーグデビューを果たし、第42節モンテディオ山形戦では田中俊也のゴールをアシストした。
高校卒業後はアルビレックス新潟に入団し、2010年はブラジルのサンパウロ州2部リーグに所属するカタンドゥベンセに半年間の期限付き移籍。2011年はリーグ戦こそ23試合に出場して無得点に終わったが、シーズンを通して試合出場を重ね、ヤマザキナビスコカップ準々決勝・名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを決めた。
2012年はファジアーノ岡山に期限付き移籍。得点ランキングで2位となる18得点を挙げた。
2013年に新潟へ復帰。第9節の清水エスパルス戦でJ1初得点を決めると、第11節のサガン鳥栖戦では、プロ入り初となるハットトリックを達成。第30節の湘南ベルマーレ戦では、ザッケローニ代表監督が視察する前で 二度目のハットトリックを達成。 同試合でリーグ20点目を決めたが、これは前年J2所属の日本人選手としては初である。最終的にリーグ2位となる23ゴールを記録し、Jリーグアウォーズでは優秀選手賞を受賞。新潟の選手としては2010年のマルシオ・リシャルデス以来、日本人選手では初のベストイレブンにも選出された。

2014年も新潟でプレーを続けたが、W杯による中断明け以降は、ベンチ外要員となり、8月、名古屋グランパスへ完全移籍となった。
2015年3月、負傷の小林悠に代わって日本代表に招集され、27日のチュニジア戦でA代表デビューを果たし、31日のウズベキスタン戦で初ゴールを記録した。

【人物】
プロデビュー戦の2008年ナビスコカップ第4節横浜F・マリノス戦ではわずか11分で交代となった[5]。
2011年Jリーグ第11節柏戦でブルーノ・ロペスの離脱により、リーグ戦初先発の可能性があったが、胃腸炎になり出場出来なかった(代わりに酒井宣福が初先発となり、チームは0対3で敗れた)。
2011年のナビスコカップ準々決勝、対名古屋戦で「誰だよ、お前? 名前を教えてくれよ」と田中マルクス闘莉王にすごまれた。
2011シーズンまではゴールを決めることが出来ず、ポストを叩くことが多かったため、ポストマンとアダ名がついた。
特技は習字であり、その腕前を生かし、2013年の初めに向こう3年の目標を、1年ごとに書にしたためた。「その内容は絶対に言いたくない」という。
堅碁の「碁」は、「囲碁のように先を見通せる人間になってほしい」という願いを込めて親が付けたものである。

【プレー動画】



総合評価
攻撃力【7】
守備力【5】
センス【6】

posted by よしき at 00:00| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

植田 直通〜侍ジャパンの若武者〜

images2ZTRHT5F.jpg
こんにちわ

本日紹介する選手は植田 直通選手です。

熊本県出身のサッカー選手。ポジションはDF(センターバック)。鹿島アントラーズ所属。元日本代表。

【プレースタイル】
186cmの長身と抜群の身体能力を誇るディフェンダー。フィジカルと対人戦、空中戦の強さに自信を持ち、「フィジカルなら海外の選手にも負ける気はしない」と自負している。豊川雄太は高校時代の植田について「こいつが守備で負けたのを見たことがない。大学生でもプロでも吹っ飛ばしていた」と語る。また、50mを6.1秒で走る俊足も兼ね備えており、強さや高さだけでなく、速さも持ち合わせている。筋肉量や体脂肪率、LMI(筋肉指数)など全6項目で計る「体組成テスト」の数値ではU-22日本代表でトップである。

好きな選手にはカルレス・プジョルを挙げており、「(闘争心の出し方も)大好きです。自分は試合中に血を流すというのが自分の目標でもあるので、本当に凄いと思う。(プジョルは)ビビらないので、そういう気持ちを大切にしていきたいです」と語っている。

【代表】
サッカー経験は浅かったが、U-16日本代表以降、年代別の代表に選出されている。
2014年12月28日、怪我により出場辞退した内田篤人に代わり、2015年1月にオーストラリアで行われるAFCアジアカップ2015の日本代表メンバーに初選出された。しかし、大会を通して試合に出場する事はなく、チームは準々決勝で敗れた。
2016年、AFC U-23選手権2016のメンバーに選出。グループリーグ第1戦のU-23北朝鮮代表戦では決勝ゴールをあげた。

※植田直通はテコンドー出身の元ヤンキー?代表は?海外移籍の噂も
小学生でテコンドーを始め3年生の時には小学生部門「全国3位」に輝いてます。
そして、中学年代では「日本一」になり世界大会にも出場経験あり!

DFに転向後わずか1年で「U-16日本代表」に選出される。


【動画】

総合評価
攻撃力【6】
守備力【7】
センス【7】
posted by よしき at 00:00| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

阿部 勇樹(あべ ゆうき)〜レッズのキャプテン。かつてはレスターに所属〜

a.png
こんにちわ

本日紹介する選手は阿部 勇樹選手です。

千葉県市川市出身のプロサッカー選手。ミッドフィールダー、ディフェンダーと、主に守備的なポジションであればどこでもこなせるユーティリティープレイヤー。元日本代表。

評論家の後藤健生は阿部について、ディフェンダーとして、所属クラブでも日本代表でも起用され結果を残している事を認めつつ、「彼はやはり本来はMF」 だという見方を示している。

2001年5月、右脛骨疲労骨折による髄内釘固定術を受け、8月復帰。本人談「ボクの右足にはチタンが入っている」。
テレビ朝日の『やべっちFC』に出演した際、「YABEっち」の「Y」を取ると「ABEっち」になるとアピール、これから「あべっちと呼んでください」と笑いを誘った。
精度の高いFKを蹴ることができることから、和製ベッカムと呼ばれたり、「アベッカム」ともじられることもあった。しかし、オシム就任後は、セットプレーでの競り合いに強さもあったことから、代わりに水野晃樹が蹴ることが多くなった。浦和移籍後もポンテが、日本代表でも中村俊輔、遠藤保仁等が蹴ることが多く、FK、CKを蹴る機会はほとんど見られなくなった。
3人兄姉の末っ子。実姉は八雲学園中学校・高等学校バスケットボール部の現職アシスタントコーチ。2009年に同校がウィンターカップに初出場を果たした際には激励に訪れ、選手一人一人のシューズにサインした。
2004年7月7日入籍。2007年7月19日、第一子となる長男が誕生。

r無題.png
レスター・シティ
2010年W杯終了後、オランダ・エールディビジのフェイエノールト、VVVフェンローから高い関心を示されており、阿部の関係者もオランダリーグへの移籍が近づいているとコメントするなどオランダ移籍が有力視されていたが、移籍期限の直前にイングランド2部・フットボールリーグ・チャンピオンシップのレスター・シティFCが3年契約での正式オファーを出し、基本合意。最大の障害だった就労ビザの問題も解決し、2010年8月31日に移籍が正式に決定した。レスターシティでの初得点は、2011年5月7日 チャンピオンシップ最終節イプスウィッチ・タウンFC戦(ウォーカーズ・スタジアム)
2012年1月22日、日本に残していた家族を最優先したいとの理由でチームと双方合意の上で契約を解除した。
s.png
浦和レッズ復帰
2012年1月24日に浦和に復帰。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督からチームキャプテンに指名された。
2012年はボランチとして全試合出場。退場となったJ1第4節川崎フロンターレ戦を除いてフル出場を果たした。チームも3位となり、AFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。なお、阿部はJリーグ優秀選手賞も受賞した。
2013年J1第33節が11月30日に行われ、J1通算400試合出場を達成した。400試合出場は史上13人目。

【注目の動画】







総合評価
攻撃力【8】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 09:38| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

高萩洋次郎(たかはぎ ようじろう)〜震災地福島の星〜

無題.png
こんにちわ

本日紹介する選手は高萩 洋次郎選手です。

日本・福島県いわき市植田町出身のサッカー選手。Kリーグクラシック・FCソウル所属。元日本代表。ポジションはミッドフィールダー。クラーク記念国際高等学校広島キャンパス卒業。

東日本大震災
高萩の実家があるいわき市勿来地区は、太平洋の海岸線から約1キロメートル前後内陸に位置する。2011年3月11日東北地方太平洋沖地震により発生した津波により、当時同市岩間町にあった実家は被災し1階部分はさらわれていた。両親は助かったものの祖母は2015年現在も行方不明のままである。高萩自身は広島の吉田サッカー公園で練習中だった。なお2010年ナビスコカップニューヒーロー賞受賞の際に貰ったトロフィーは当時実家に置いており同様に被災したものの、後に家財に埋もれた状況で発見され補修復旧した実家に現在も飾ってある。
2011年5月、現役Jリーガーを中心に支援団体「東北人魂を持つJ選手の会」が発足されると高萩も名を連ね、広島に避難した福島県民の支援など積極的な被災者支援活動を行なっている。
images.jpg
福島県出身としては初の日本代表選手。2013年現在、広島における公式戦最年少出場記録保持者(16歳8ヶ月3日、2003年4月5日J2第4節対湘南ベルマーレ戦)。

非凡なボールコントロール能力を備え、豊富な運動量を基盤にあらゆる攻撃の場面に顔を出し、精度の高い長短のパスを駆使するファンタジスタ。トップ下をメインにボランチや右サイドハーフをこなす。過去にはフォワードやサイドバック、リベロを経験している。
夫人は音楽プロデューサーのRina Moon。


植田中学校入学と同時にJヴィレッジサッカースクールに通い、高田豊治 コーチから指導を受ける。また、学校ではいわき市市大会で平一中に2対1で勝利し優勝に貢献した。その時からキックオフゴールを狙うなど非凡な才能を見せていた。

中学3年時に高田に誘われ[2]、2002年にサンフレッチェ広島ユースに入団。2003年高校2年生時には、高校年代のサッカー界に旋風を巻き起こした広島ユースの中心選手として活躍、チームをクラブユース選手権優勝、高円宮杯3位に導く。

また2003年、前田俊介、柳一誠、佐藤昭大とともにトップチームの2種登録選手となる。小野剛は若い高萩を評価し、同年4月5日J2第4節湘南ベルマーレ戦に初出場、16歳8ヶ月3日での出場となり当時のJ1・J2通じての最年少出場記録を更新する。同年4月29日J2第9節対ヴァンフォーレ甲府戦には右サイドバックとして先発フル出場した。同年11月1日、シーズン途中にユースから昇格しトップチームとプロ契約し「クラブ史上初のプロの高校生Jリーガー」となる。それと平行して、広島県立吉田高等学校から通信制のクラーク記念国際高等学校へ転校し卒業。

トップチーム昇格後、一時は先発メンバーに抜擢されプロ初ゴールを決めている が、度重なる怪我や病気に泣き、また守備力を評価されなかったことから出場機会に恵まれなかった

2006年、出場機会を求めて田村祐基や森脇良太とともに、望月一仁率いる愛媛FCへレンタル移籍。すぐに中心選手として活躍し、J2昇格初年度の愛媛FCの躍進を支えた。

2007年、広島に復帰。コンディションがなかなか上がらなかったこともあり当初ミハイロ・ペトロヴィッチはあまり評価していなかったが徐々に主力として評価しだし、翌2008年森ア和幸や柏木陽介ら主力MFに怪我人が続出したためトップ下として先発メンバーに定着、終盤には1トップに入る[10] など主力としてJ1昇格に貢献した。以降、トップ下のレギュラーとして定着している。2010年ナビスコカップニューヒーロー賞受賞。

2012年、得点こそ4得点だったが、リーグ2位の12アシスト(トップは中村憲剛で13アシスト)を決める活躍で広島のリーグ初優勝に貢献し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。2013年、背番号が10に変わった。

2015年1月14日、前年にAFCチャンピオンズリーグ2014で優勝し、かつて選手として広島に所属していたトニー・ポポヴィッチが監督を務めている、Aリーグ、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCへ完全移籍することが発表された。2 月25日、AFCチャンピオンズリーグ2015の第1節で鹿島アントラーズと対戦し、1得点1アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

2015年6月6日、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCを退団したことをクラブの公式ウェブサイトで発表した。Aリーグで11試合2ゴールを記録、ACLでは6試合で1ゴールをマークした。

2015年6月16日、FCソウルと契約を結んだことをクラブ公式HP上で発表した。契約期間は2年6カ月となり、アジア枠での登録となる。

【注目の動画】





総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
posted by よしき at 00:00| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

中島 翔哉〜リオ五輪最注目〜

なかじま.png
こんにちわ

本日紹介する選手は今大注目!中島 翔哉選手です。

東京都出身のサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはMF,FW!
6歳の時にサッカーを始める。2004年より東京ヴェルディの下部組織に加入。2010年には東京都選抜の一員として国体で優勝。2011年にはクラブユース選手権で連覇を果たし、自身もベストヤングプレーヤーに選出された。また、同年U-17日本代表に選出されU-17ワールドカップに出場。準々決勝ブラジル戦では相手のスペースを巧みに突いて得点を挙げた。

2012年2月、2種登録選手に登録されトップチームに帯同。同年9月より監督に就いた高橋真一郎によって抜擢され[7]、天皇杯2回戦のH大分戦で途中出場し、トップチーム初出場。同月14日のJ2第33節福岡戦でJリーグ初出場。同点となるゴールを挙げ、チームの連敗脱出に貢献した。翌10月に東京Vとのプロ契約締結が発表された[9]。同月に行われたJ2第39節栃木戦ではハットトリックを記録。18歳59日での達成により松波正信のJリーグ最年少記録を塗り替えた。2013年は高橋の退任もあって先発出場が激減し、2得点に留まったが、そのいずれもが決勝点となった。J2第35節群馬戦で決めた得点は、同年のJ2最優秀ゴール賞に選出された。また、リオデジャネイロオリンピックを目指す日本代表に選出され、2014年1月開催のU-22アジアカップに背番号10を背負って出場。切れ味鋭いドリブルで相手DFを翻弄し、3得点を記録した。

2014年、依然東京Vでは満足に出場が見込めないことから、同クラブの新体制発表後にFC東京へ完全移籍し、同時に中島の才を買うカターレ富山へと期限付き移籍。富山では中島の加入に合わせて急遽布陣が変更され、FWやトップ下、左サイドハーフに配された。スピード溢れるドリブル突破で好機に絡み前線からの守備に奔走するも、味方のサポートが及ばずに孤立する場面も多く自身のシュートミスも重なって得点は伸びなかった。

2015年、AFCアジアカップ2015のサポートメンバーとしてA代表に帯同。数合わせとしての参加ながら、得意のキレのあるドリブルで控え組を盛り立てた。

2015年6月20日、第16節のサガン鳥栖でJ1初得点。

小柄ですがこれからの活躍に期待です!

総合評価
攻撃力【8】
守備力【2】
センス【8】
posted by よしき at 15:00| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする