2016年02月07日

オリベル・トーレス(Óliver Torres Muñoz)〜名前のオリベルは『キャプテン翼』から〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はオリベル・トーレス選手です。

スペイン出身、アトレティコ・マドリード所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
名前のオリベルは『キャプテン翼』の主人公である大空翼のスペイン名オリベル・アトムに由来する。

【クラブ】
エストレマドゥーラ州に位置するカセレス県のナバルモラル・デ・ラ・マタ出身のオリベルは13歳であった2008年の夏にアトレティコ・マドリードに加入し、監督を務めていたディエゴ・シメオネにトップチームに呼ばれるまで、4年間をユースチームで過ごした。
アトレティコ・マドリードBで確固たる地位を築いていたわけではなかったが、2012年4月末にリーガ・エスパニョーラのレアル・ベティスのメンバーに招集され、8月20日に行われた2012-13シーズンのレバンテUD戦でアドリアン・ロペスと交代で64分から出場し、プロデビューを果たした。
2013年10月1日にはUEFAチャンピオンズリーグのグループステージであるFCポルト戦に負傷したラウール・ガルシアと交代で後半79分から出場し、82分に決勝ゴールが生まれ、チームも2-1で勝利を挙げた。18歳10ヶ月でのチャンピオンズリーグデビューは、アトレティコ史上4番目の若さとなるデビューであった。10月27日に行われ、5-0で勝利したベティス戦では試合開始12秒でゴールを決め、公式戦での初ゴールを記録した。
2014年1月、シメオメ監督の下で出場機会を満足に得られないことから、アトレティコはシーズン終了までのローンで同一リーグに所属していたビジャレアルCFにオリベルを移籍させることを決定した。オリベルはこの移籍に対し、「この期間にできるだけたくさん学び、サッカー選手としてはもちろん一人の人間としても成長したい。」と、話した。3月2日のベティス戦に後半から出場し、ビジャレアルでのデビューを果たし、6日後に行われたグラナダCFにはスターティングメンバーとして出場したが、チームは0-2で敗れた。
2014年7月3日、シーズン終了までのローンでポルトへの移籍が決定した。8月15日に行われたCSマリティモ戦でプリメイラ・リーガデビューを果たし、フル出場の末、チームも2-0で勝利を挙げた。8月31日に行われ、3-0で勝利したモレイレンセFC戦ではチームの1点目となるゴールを挙げ、ポルトでの初ゴールを記録した。
オリベルは2014年のゴールデンボーイ賞にノミネートされた。

【代表】
オリベルは2012年に行われたUEFA U-19欧州選手権で優勝したスペイン代表のメンバーであり、決勝戦のU-19ギリシャ代表戦にも出場した。
トルコで開催された2013 FIFA U-20ワールドカップにU-20のメンバーとして出場し、準々決勝までの5試合すべてに出場を果たした。2013年9月5日に行われたUEFA U-21欧州選手権予選のオーストリア代表戦ではスソと交代で後半の残り9分間出場し、U-21代表デビューを果たした。
U-21代表での9キャップ目を記録した11月14日に行われたU-21欧州選手権予選のボスニア・ヘルツェゴビナ代表で初ゴールを記録した。

【動画】


総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】


posted by よしき at 17:00| Comment(0) | スペイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フアン・マタ(Juan Manuel Mata García)〜村上春樹の小説を愛好〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はフアン・マタ選手です。

スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県ブルゴス出身のサッカー選手。プレミアリーグ・マンチェスター・ユナイテッドFC所属。スペイン代表。ポジションはミッドフィールダーであるが、ウイングのポジションも務めることができる。

マドリード工科大学で身体運動科学とジャーナリズムを専攻している。趣味は卓球と読書で、元チームメイトのエステバン・グラネロの影響で日本文学に興味を持ち、村上春樹の小説を愛好する。
父親のフアン・マヌエル・マタ・ロドリゲスはレアル・オビエドやブルゴスCF、UDサラマンカ等でプレーした元サッカー選手であり、FIFA公式代理人資格も持っている彼は息子の代理人を務めている。
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頭の良い選手であり、ボールキープ能力やインテリジェンス、得点力に優れるプレイヤー。

父親がブルゴスCFに在籍していた関係でカスティーリャ・イ・レオン州のブルゴスに生まれたが、その後父親がレアル・オビエドに移籍したこともありアストゥリアス州・オビエドで育ち、レアル・オビエドの下部組織でサッカーを始めた。3シーズンの間レアル・オビエドの下部組織に在籍し、15歳の時にレアル・マドリードの下部組織に移ると、カデテA、フニベールC、フニベールBと順調に昇格した。フニベールAではリーグ戦で18得点を挙げ、コパ・デ・カンペオネス・フベニールでは3得点を決めて優勝に貢献し、フニベール・カップでも3得点を決めた。2006-07シーズンはレアル・マドリード・カスティージャに昇格し、アルバロ・ネグレドの18得点に次ぐチーム2位の9得点を挙げたが、クラブはセグンダ・ディビシオンB(3部)に降格した。

レアル・マドリードとの契約延長交渉が決裂し、2007年3月に4年契約でバレンシアCFに完全移籍した[2]。ビセンテ・ロドリゲスの相次ぐ負傷やロナルド・クーマン監督の解任などが幸いして徐々にポジションを掴んだ。2008年3月20日のコパ・デル・レイ準決勝・FCバルセロナ戦では2得点し[3]、4月16日の決勝・ヘタフェCF戦では先制点を決めて3-1での優勝に貢献した。2007-08シーズンの活躍からバレンシアCFのファンと選手が選ぶ最優秀若手選手賞に選ばれた。レアル・マドリードではトップチームに昇格できなかったが、バレンシアCFに移籍して花開くこととなった。

古巣レアル・マドリードと対戦した2008年のスーペルコパ・デ・エスパーニャではファーストレグで得点を決めて3-2で勝利したが、セカンドレグでは2-4で敗れ、2試合合計5-6で敗れて準優勝に終わった。2008-09シーズンの出だしは良好で、RCDマジョルカとの開幕戦で先制点を決めたほか、CAオサスナ戦ではダビド・ビジャからのロングボールをゴールネットに沈めた。ビジャとの連携は試合ごとに改善し、2008年9月25日のマラガCF戦ではビジャが決めた2得点の両方をアシストした。3日後のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では1得点3アシストと4得点すべてに絡む活躍を見せた。終盤戦のスポルティング・ヒホン戦では決勝点となる3点目を決め、ホームでのセビージャFC戦では2-1の勝利を決めるPKを決めた(本来のキッカーであるビジャが負傷交代していたため)。2008-09シーズンは11得点13アシストという素晴らしい成績を残し、アシストランキングではFCバルセロナのシャビに次いでリーグ2位を獲得した。
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UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12決勝でのフアン・マタとジェローム・ボアテング
2011年8月21日にイングランドのチェルシーFC移籍がバレンシア公式サイト上で発表された。背番号はバレンシア時代と同じ10番。アンドレ・ビラス・ボアス率いるチェルシーでのデビュー戦となった2011年8月27日のノリッジ・シティFC戦で移籍後初ゴールを記録するなど、プレミアリーグへの適応の早さを見せた。

2012-13シーズンには12得点12アシストの成績を修めた。アシスト数は同年度プレミアリーグトップの成績である。また、2013年度PFA年間最優秀選手賞候補にもノミネートされた。

2013-14シーズンは復帰したジョゼ・モウリーニョ監督の戦術的志向もあって、スターティングメンバーから外れることも多く、2014年W杯に向け移籍を志願するようになった。

2014年1月24日、ジョゼ・モウリーニョはマタがマンチェスター・ユナイテッドFCのメディカルチェックを受けることを発表、同日マンチェスター・ユナイテッドがクラブ史上最高額でマタの移籍について合意したと発表した。背番号は8番を着用することになった。

2006年のUEFA U-19欧州選手権にはスペイン代表の主力として参加し、 アルベルト・ブエノに次ぐ4得点を挙げて優勝に貢献した。2007年2月1日、まだ18歳10カ月であったがイニャキ・サエス監督によってU-21スペイン代表に追加招集され、U-21イングランド代表との親善試合に出場した。この時のチームメイトにはFWロベルト・ソルダード、MFホセ・マヌエル・フラド、DFセルヒオ・サンチェス、DFミゲル・トーレス、MFエステバン・グラネロ、アントニオ・アダンなどがいた。

2008年11月14日、ビセンテ・デル・ボスケ監督によってスペインA代表に招集された。この時のチリとの親善試合では出場機会がなかったが、2009年3月28日の2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・トルコ戦で63分にFWダビド・ビジャとの途中交代で初キャップを記録した。2009年6月にはFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場し、グループリーグのイラク戦で先発出場の機会を得た。準決勝のアメリカ戦ではMFアルベルト・リエラに代わって途中出場したが、0-2で敗れて3位に終わった。9月9日の2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・エストニア戦で初得点を記録した。本大会ではグループリーグのホンジュラス戦でFWフェルナンド・トーレスとの途中交代で出場した20分間しか出場機会がなかったが、世界チャンピオンのトロフィーに名を刻んだ。

【動画】



総合評価
攻撃力【8】
守備力【4】
センス【8】
posted by よしき at 15:00| Comment(0) | スペイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

ガビ(ガブリエル・フェルナンデス・アレナス)(Gabriel Fernández Arenas)〜アトレティコの主将〜

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こんにちわ

本日紹介する選手は選手です。

【経歴】
スペインの首都マドリード出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・アトレティコ・マドリード所属。ポジションはMF(オフェンシブハーフ)。
アトレティコ・マドリード期待の若手だった。2007年2月、同年夏にサラゴサへ移籍することが決定した。当初は2007年1月に移籍する予定だったが、ガビがアトレティコで5試合に出場したために移籍が半年繰り下がった。
2011年7月11日、古巣のアトレティコ・マドリードに復帰した。移籍金は約300万ユーロ(約3億5000万円)とされている。
2011-2012シーズンをもって、アトレティコの主将アントニオ・ロペスがチームを退団。これによってガビが主将に就任している。

【広州恒大へ移籍!?】

中国スーパーリーグ(1部)の広州恒大が、アトレティコ・マドリードのキャプテンを務めるスペイン人MFガビの獲得に動いている。スペイン紙『アス』が29日に報じた。
 報道によると、広州恒大はガビの獲得に向けて総額2300万ユーロ(約31億6000万円)での3年契約を用意している。年俸約760万ユーロ(約10億5000万円)という破格の条件で、ガビを迎え入れたい考えを持っているようだ。
 同紙はガビについて、広州恒大以外にも複数のプレミアリーグ所属クラブが興味を示していると報道。ただ、同選手に移籍の意思はなく、エンリケ・セレソ会長も2017年で満了となる契約を更新する意向を示していると伝えられている。
 ガビは1983年生まれの32歳。アトレティコ・マドリードの下部組織出身で、トップチーム昇格後はヘタフェへの期限付き移籍も経験した。2007年夏にサラゴサへ移籍したが、2011年にアトレティコ・マドリードに復帰。現在はキャプテンを務めている。


【動画】




総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 02:37| Comment(0) | スペイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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