2017年10月18日

ジブリル・シセ(Djibril Cissé )〜セックステープが原因で逮捕!!〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はジブリル・シセ選手です。

フランス・アルル出身の同国代表の元サッカー選手。ポジションはFW。






【エピソード】
2005年時点でadidas社のスパイクを着用していてadidasのテレビCMに度々登場する。
奇抜なヘア・スタイルをするとともに、自身のアパレル・ブランド「KLUBB9」を開設している。
2007年公開のフランス映画「TAXi 4」に本人役でカメオ出演。
上半身全体を覆うようなタトゥーを入れている。
料理人の松嶋啓介と親交がある。
2015年10月に元同僚のフランス代表のマテュー・ヴァルブエナの性行為を映した映像を巡っての一連の恐喝容疑により一時、警察当局に身柄を拘束されたと報じられている。
現役引退後は、コンサートDJとして活躍している。

【経歴】

イスラム教徒の両親に生まれたが、後にキリスト教に改宗した。

1989年、地元のチームACアルル・アヴィニョンにて8歳のときサッカーを本格的に始める。1996年にニーム・オリンピックを経て、AJオセールのユースチームに所属。2年後の1998年にプロデビューを果たした。

2001-02シーズンに22ゴールを挙げ初のリーグ・アン得点王に輝く。翌2002-03シーズンは得点王を逃すものの、2003-04シーズンに26ゴールで得点王に返り咲き、チームのUEFAカップ出場権獲得に貢献した。

2004年7月1日、かねてから移籍が噂されていたイングランドのリヴァプールFCに移籍した。移籍直後はプレミアリーグ独特のスピーディかつアグレッシヴなゲーム展開、そしてラファエル・ベニテス監督の唱えるサッカーにもなかなか馴染めず、スタメンから遠ざかる日々が続いた。さらに12月には「もしピッチ上で適切な応急処置が行われていなかったら再起不能だった」とまで言われた程の酷い怪我(左足腓骨・脛骨の同時骨折)を負うなど苦難続きだったが、怪我の癒えた2005-06シーズンからは徐々に本来の実力を発揮しつつあった。

しかし、2006年W杯ドイツ大会開幕を直前に控えた中国との親善試合で再び骨折し、本大会への出場は出来なかった。

2006年7月13日、オリンピック・マルセイユにレンタル移籍して母国復帰。2007年7月8日にマルセイユと5年契約を結んだ。移籍金は600万ポンド。

2008年8月5日にサンダーランドAFCへのレンタル移籍が決定し、再度イングランドへ[3]。サンダーランドでは35試合に出場し10得点を挙げる活躍をみせた。

2009年7月26日、移籍金800万ユーロの4年契約でギリシャ・スーパーリーグのパナシナイコスFCへと移籍した。初年度からリーグ戦23得点を挙げて得点王を獲得。チームの2冠達成に大きく貢献した。この活躍により一時は遠ざかっていたフランス代表にも復帰し、2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選出されたが、チームは1勝もできずグループリーグ敗退に終わった。

2010年冬、人種差別を受けていることを理由に、今シーズン限りでパナシナイコスを退団する意向を明らかにした。

2011年7月12日、移籍金580万ユーロの4年契約でイタリアのSSラツィオに移籍。自身初となるセリエA挑戦だったが、左右のウィングで使われることが多く開幕戦の1ゴールに留まった。

2012年1月31日にクイーンズ・パーク・レンジャーズFCへ2年半契約で移籍。三度イングランドでプレーすることになった。ハーフシーズンで2度のレッドカードで合計7試合に出場できなかったが、8試合で6ゴールをあげる活躍で結果的にQPRを残留に導いた。

2013年7月、ロシア・プレミアリーグのFCクバン・クラスノダールへ完全移籍。契約期間は1年+1年の延長オプション付き。
2014年1月1日、SCバスティアに移籍し、5年半ぶりにリーグ・アンに復帰した[6]。2014-2015シーズン終了後に退団。
2015年6月、レユニオンのサン=ピエロワーズと5試合のみの条件で短期契約を結んだ後、同年10月19日に現役引退を発表した。

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ジブリル・シセ、元同僚への恐喝容疑で逮捕…原因は“セックステープ”か
元フランス代表FWジブリル・シセが、元同僚で現在はリヨンでプレーする同国代表MFマチュー・ヴァルブエナへの恐喝の容疑で逮捕された。13日付のフランス紙『レキップ』が報じている。

 同紙によると恐喝の容疑で逮捕されたのは4名で、そのうちの一人がD・シセだという。D・シセ以外の3名がヴァルブエナの映っている“セックステープ”を所有しているとされ、これをもとに恐喝を行ったと報じられている。実際にそのテープが存在するかは現在調査中の模様。なお、ヴァルブエナとD・シセはマルセイユやフランス代表で同僚だった。

 現在34歳のシセはオセールでプロキャリアをスタートさせ、リヴァプールやマルセイユ、パナシナイコス、QPR(クイーンズ・パーク・レンジャーズ)といったクラブで活躍。また、フランス代表としては2002年の日韓・ワールドカップ、2010年の南アフリカW杯に出場している。正式な現役引退表明はしていないが、昨シーズン限りでバスティアを退団し、無所属の状態が続いている。



【注目の動画】





総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【7】

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【獲得タイトル】
代表
2003年FIFAコンフェデレーションズカップ2003優勝

クラブ
2001-02シーズン フランス・リーグ・アン得点王(22得点)
2003-04シーズン フランス・リーグ・アン得点王(26得点)
2004-05シーズン UEFAチャンピオンズリーグ優勝
2005-06シーズン FAカップ優勝
2009-10シーズン ギリシャ・スーパーリーグ優勝
2009-10シーズン ギリシャ・スーパーリーグ得点王(23得点)
2009-10シーズン ギリシャ・ギリシャカップ優勝

【引退後のキャリア】
元仏代表ジブリル・シセが正式に引退「今後はファッションと音楽に情熱注ぐ」
 元フランス代表のFWジブリル・シセが、正式に現役引退を表明した。フランス『ヤフー・スポーツ』の中で明かしている。

 35歳のシセは2015年に現役引退の意思を明かしたが、手術ででん部の負傷が癒えると、復帰願望があることを認めていた。だが、現在は異なる道へ進むことを決めている。

 シセは「サッカー選手としての時間は素晴らしかった。僕の人生には常にボールがあったよ。残念だけど、今はこの決定を発表しなければいけない」と語った。

 その上で、「今はサッカーに対するものと同じだけの情熱を音楽とファッションに向けている。DJとして、そして自分のファッションブランドの発展のために心と魂を込めていきたい」と、今後について話している。

 オセールでキャリアを始めたシセは、リバプール、マルセイユ、サンダーランド、パナシナイコス、ラツィオなどでプレー。フランス代表としては41試合に出場した。2012年には自身のファッションブランド『Mr. Lenoir』を立ち上げている。


posted by よしき at 20:04| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

ハテム・ベン・アルファ(Hatem Ben Arfa)〜元祖天才〜ウイイレ若手の定番

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こんにちわ

本日紹介する選手はハテム・ベン・アルファ選手です。

フランス出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。リーグ・アン・パリ・サンジェルマンFC所属。フランス語での正しい発音は「アテム・ベナルファ」である。

【クラブ経歴】
パリ郊外のクラマールで生まれ、クレールフォンテーヌ国立研究所に飛び級で入学。各世代の代表を経験し、2007年にA代表にも招集されたフランスの若き天才FW。ASサンテティエンヌ、スタッド・レンヌからもオファーがあったが、オリンピック・リヨンと15歳の時にプロ契約を結んだ。当時リヨンを指揮していたのは元カメルーン代表監督のポール・ル・グエンであり、2004年8月6日のOGCニース戦でデビューを飾った。
持てる才能を持て余してきた感が強かったが[要出典]、2007-08シーズンには、これまでリヨンの主力であったフローラン・マルダの退団にともない開幕当初から左ウィングで起用されるや否や活躍を見せ、チームに不可欠な存在に成長した。しかしながら、怪我人の復帰もあり終盤にはベンチ生活を余儀なくされることが多かった。また、監督のアラン・ペランがシドニー・ゴブを好んで起用したことなどから、2008年6月、レアル・マドリーやマンチェスター・ユナイテッドなど、国外のビッグクラブからのオファーもあったが、フランス国内のオリンピック・マルセイユに移籍した。2009-10シーズンから監督の座に就いたディディエ・デシャンから正当な評価が得られないと起用法を巡って対立し、移籍を志願。しかしマルセイユ移籍後のパフォーマンスが低調であったこと、性格的な問題がクローズアップされていたことなどから、マルセイユ移籍当時のようにビッグ・クラブからは声が掛からなかった。シーズン後半からは監督との関係も改善し、レギュラーに返り咲いたものの移籍の希望は変わらず、翌2010-11シーズンの開幕後にニューカッスル・ユナイテッドFCへレンタル移籍することが決まった。

移籍先のニューカッスルでは活躍を見せたが、2010年10月3日のマンチェスター・シティFC戦でナイジェル・デ・ヨングの悪質なタックルを受けて骨折し、全治6か月の離脱を余儀なくされたが、2011年1月5日、首脳陣から将来性を買われて、ニューカッスルに完全移籍することになった。2015年6月までの長期契約を結んだ。2011年9月のリーグ戦で約1年ぶりにピッチに復帰した。

2014年9月1日、ハル・シティAFCにレンタル移籍した。しかし、スティーブ・ブルースの信頼を得られず、2015年1月にレンタル元のニューカッスルとも契約を解除し、母国のOGCニースと契約したが、ハル・シティ移籍前の、ニューカッスルU-21での試合出場歴をFIFAが公式戦であると判断し、「1シーズンで1人の選手がプレーできるチームは2つまで」というルールに違反することとなり、2014-15年シーズン中の加入は認められなかった[3][4]。2015年6月10日に改めてニースと正式契約を結んだ。
2016年7月1日、パリ・サンジェルマンFCへの移籍が発表された。背番号は21番。自身の獲得を決めたローラン・ブラン監督がシーズン開幕を前に解任されてしまい、代わりに就任したウナイ・エメリ監督からは冷遇され、エースであったエディンソン・カバーニの存在もあり、出場機会は少なかった。

【天才エピソード】
ユース世代の頃に過大な評価を受けていた影響からか、自身のプレーに過剰な自信を抱いており、リヨン時代にはセバスティアン・スキラシと練習中に喧嘩騒ぎを起こし、会長のジャン=ミシェル・オラスとも確執があった。マルセイユでもUEFAチャンピオンズリーグのリヴァプールFC戦でモデスト・エムバミと喧嘩騒ぎをするなど精神面にも大きく課題を残す。しかし2010年、ディレクト・スポール紙のインタビューに対し、「マルセイユからの移籍を希望した時に自分の思うようなビッグ・クラブから声が掛からなかったことから、自分の立場を理解した」とコメントするなど、進境が見られる。イングランドでは時折天才的なプレーを見せたが、ニューカッスル所属時の終盤はリザーブチームに降格させられるなどし、「まるで地獄の日々だった」と振り返ってい。




【注目の動画】

OGCの息子との対話はニース、フランスのパリでは2016年にパリで行われたが、フランスではフランスとフランスの芸術祭が行われていたが、21世紀にはフランスの芸術の舞台となった。 。パリ・サンジェルマン・ロス・デュ・トロフィー・オブ・チャンピオンズ・コンクール・ソン・クラブ・フォーミュラ・オブ・オリンピック・リヨンズ・アンド・マーキー・ソン・プレミア、アブ・ソル・ヌーボー・クラブ・デ・デミー・アレキサンダー・レ・マッチ・クォート息子の最高司令官、クラブデラキャピタル。 PSGとPSGの間で締結されたPSGは、PSGとPSGとの間で締結されたものである。ユニ・エメリー・ルーヴァー・トゥルー・ユー・エスパス・アゼズ・デフェンシフ・デシッド・デ・パシ・ル・コルヴァー・ポー・ル・プレミア・マッチ・デ・リーグ・チャンピオンズ・アーセナル・パリス・ロス・デーは、それは、スタッドレンヌとの戦いに似ています。
総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【2】

【代表】
サミル・ナスリ、ジェレミー・メネス、カリム・ベンゼマ達と出場したU-17フランス代表では主力として欧州選手権に優勝した。両親がチュニジア出身(父のカメル・ベン・アルファは元代表選手)であるため、ドイツW杯のチュニジア代表にも招集されたが、時期尚早ということで断っている。フランス代表には2007年10月13日に行われたフェロー諸島戦でデビューし、初ゴールも挙げた。
2010年8月に行われたノルウェー代表との国際Aマッチでは新たに就任したローラン・ブラン監督に招集され久々の代表復帰となった。当時のフランス代表は2010 FIFAワールドカップ開催時の練習ボイコット問題から選手の大半が入れ替わっており、試合はフランスが浮き足立った試合運びでノルウェーに先制点を許したが、ベナルファは右ウィングとして途中出場するとペナルティエリア外から左足でミドルシュートを放ちゴールを奪った。

ニューカッスルで調子を落としていたこともあり、UEFA EURO 2012以降は代表から遠ざかっていたが、国内復帰後は好調を維持し、2015年11月の親善試合で3年ぶりに代表復帰した。
posted by よしき at 23:29| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プレスネル・キンペンベ(Presnel Kimpembe)〜現代型ハイパーディフェンダー〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はプレスネル・キンペンベ選手です。

フランス・ヴァル=ドワーズ県ボーモン=シュル=オワーズ出身のサッカー選手。フランス代表。パリ・サンジェルマンFC所属。ポジションはディフェンダー。

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【華麗なる経歴】
パリ・サンジェルマンFCの下部組織出身。コンゴ民主共和国にルーツを持っている左利きのディフェンダーで、センターバックとサイドバックをこなすことが出来る。 身体的にまだ未熟だと評されてはいるものの、かなりスピードにもフィジカルにも優れているアスリートタイプ。それほど器用には見えないもののボール扱いも上手く、縦パスを入れるのも得意である。反面守備の予測や裏のスペースカバーなどに弱みがある。2014/15シーズンの開幕前に行われたキャンプと親善試合で評価され、トップチームでも2014年10月にデビューを果たした。






キンペンベはPSGの下部組織出身で、そこからトップチームに昇格しプロデビュー。
毎年といっていいほど大型補強を行うPSGで、ユースからトップに定着できたのがまずすごいと思います。
トップで徐々に出場機会を増やすと、特に2016-17シーズンにはチャンピオンズリーグのバルサ戦でもプレーし、1戦目に限ればMSNも抑えるなど高い評価につながる活躍を見せていました。

フランス代表でもユース各世代でプレー。
フランスのA代表は、もはやディフェンスラインも層がかなり厚くなってきているけど、キンペンベも将来的には主力になっていくと思います。
左利きのセンターバックだけでいっても、ウンティティやラポルテもいるし、かなり競争は激しい。
【注目の動画】


総合評価
攻撃力【3】
守備力【8】
センス【9】
posted by よしき at 11:37| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アドリアン・ラビオ(Adrien Rabiot)〜トリッキーな190cm ボールタッチが柔〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はアドリアン・ラビオ選手です。

フランス・サン=モーリス出身のサッカー選手。フランス代表。リーグ・アン・パリ・サンジェルマンFC所属。ポジションはミッドフィールダー。
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【クラブ】
2001年にUSクレテイユ=リュシタノのユースチームでキャリアをスタートさせ、その後複数クラブを渡り歩いたのち、2010年からパリ・サンジェルマンFCのユースチームに所属し、2012年にトップチームに昇格した。2012年8月26日、FCジロンダン・ボルドー戦でプロデビューを果たした。パリ・サンジェルマンFCでカップ戦を含む9試合に出場した後の2013年1月、トゥールーズFCへのレンタル移籍が発表された。トゥールーズFCではシーズン終盤ごろから出場機会を増やし、3月9日のスタッド・ブレスト29戦では決勝点となるプロ初ゴールを記録。その後もレギュラーとして中盤の一角でプレーし、移籍後13試合1ゴール3アシストの成績でこのシーズンを終えた。2013-14シーズンは再びパリ・サンジェルマンの一員としてスタート。新監督のローラン・ブランがシーズン途中から3センターハーフの戦術を採用したこともあり、スター揃いのPSGの中にあってコンスタントに出場機会を得る。年明け1月に膝を負傷し、同時に同じポジションでフランス代表のヨアン・キャバイェが加入した後はスタメン出場の機会を減らす。それでも途中交代要員として、また格下相手のローテーション要員として定期的に出場し、公式戦34試合3ゴールという成績でこのシーズンを終えた。」

【移籍の噂】
そんなラビオには、多くのビッグクラブも注目していてこれまで移籍の噂も上がっていました。
例えば、バルセロナやユベントス、アーセナル、トッテナムなどなど。バルセロナのインサイドハーフorアンカーにはけっこうハマるかもしれないですね。
ただ、スタメンで出られる機会が多くなってきたいま、移籍の可能性は低くなっているといえるかもしれません。ちなみにラビオの代理人は実の母親が行っているようです。

しかもなかなか厳しい母親らしくてPSGへの要求も高く、何かあるならいつでも移籍するぞ的な強気の態度らしいです笑。
もはや中心選手ではあるものの、それをPSGが良く思わない場合は移籍に動く可能性はあるかもしれないですね。

ラビオ、ヴェラッティはまだ若くて今後のパリにとってかなり重要な選手だと思うので、クラブとしてはどうしても残しておきたいところだと思いますが。

ラビオのポジシンは、中盤センターで主にインサイドハーフ、またパリではアンカーでプレーすることもあります。

特徴は、190cm近い長身がありつつ、ボールタッチが柔らかくトリッキーなコントロールも見せる選手で、パスワークによる組み立てが上手い。

また、長短のパスも上手くて、ディフェンスラインからボールを受けてさばいてというプレーも安定してる。
あと意外とスピードもあって、ボールを持ったときには一気に持ち上がったり、また遠目からでも強烈な左足のシュートがあったりと、ダイナミックなプレーも見せる選手です。

一方の弱点は、主に守備時などにちょいちょい軽いプレーが観られるところでしょうか。
リーチがあってボールを奪うのも上手いんだけど、いちかばちか的な足の出し方をしたり、危ないところでボールを持ちすぎたりというシーンはわりとありますね。最近はだいぶ改善しているのかもしれないけど
ただ、総合的に見てかなり万能でテクニカルな中盤の選手だと思います。高さがあって得点力があるのも大きい。

【注目の動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【8】
posted by よしき at 11:25| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

アレクサンドル・ラカゼット(Alexandre Lacazette )〜フランス革命〜※動画あり



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こんにちわ

本日紹介する選手はAlexandre Lacazette選手です。

フランス・リヨン出身のサッカー選手。ポジションはFW。 日本においてはラカゼッテともよばれる。

2003年にオリンピック・リヨンの下部組織に入団する。2010年5月3日、AJオセール戦でプロデビューを果たした。10月31日、FCソショー戦でプロ初ゴールを記録した。

2008年のUEFA U-17欧州選手権に出場し準優勝した。2010年自国開催のUEFA U-19欧州選手権では優勝した。またFIFA U-20ワールドカップでは5ゴールを挙げチームを4位に導き、自身もブロンズシューズを獲得した。
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2013年5月、負傷離脱したジェレミー・メネスの代役としてA代表に初招集され、2013年6月5日のウルグアイとの親善試合で代表デビュー。2015年3月28日のデンマークとの親善試合で代表初得点を挙げた。


【注目の動画】



総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
posted by よしき at 22:00| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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