2016年05月02日

ディミトリ・ペイェ(ディミトリ・パイェ)(Florent Dimitri Payet)〜変態プレイ連発で今期大ブレイク〜



q.png
こんにちわ

本日紹介する選手はディミトリ・ペイェ選手です。

フランス領レユニオン・サン=ピエール出身のサッカー選手。プレミアリーグ・ウェストハム・ユナイテッドFC所属。フランス代表。ポジションはミッドフィールダー。

クラブ
2005年からFCナントに所属し、12月19日、FCジロンダン・ボルドー戦でデビューを果たした。2007年、ASサンテティエンヌに移籍した。2年目でブレイクを果たし、代表にも初選出された。 2011年6月28日、LOSCリール・メトロポールに4年契約で移籍した。一年目はエデン・アザールやジョー・コールらの活躍でベンチに座ることも少なくなかったが、2年目に主力が去ってから本領発揮。12ゴール12アシストの活躍でリーグの年間ベストイレブンにも選出された。
2013年6月、LOSCリール・メトロポールがヨーロッパリーグの出場権を逃したこともあり、オリンピック・マルセイユへ移籍することが決定した。
qqqq.jpg
代表
フランス代表として各年代の代表でプレーし、2010年10月9日、UEFA欧州選手権2012予選のルーマニア代表戦でA代表デビューを果たした。2015年6月7日のベルギーとの親善試合で代表初得点を挙げた。



【注目の動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】


posted by よしき at 18:00| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クロード・マケレレ(Claude Makélelé Sinda)〜守備の鉄人・マケレレロール〜



imagesA1MSDPHC.jpg
こんにちわ

本日紹介する選手はクロード・マケレレ選手です。

コンゴ民主共和国(旧ザイール)キンシャサ出身の元フランス代表サッカー選手。

【経歴】

FCナント 1991-1997
オリンピック・マルセイユ 1997-1998
セルタ・デ・ビーゴ 1998-2000
レアル・マドリード 2000-2003
チェルシーFC 2003-2008
パリ・サンジェルマンFC 2008-2011

キャリアを通して守備的MFでプレー。中盤の底のポジションはマケレレのポジションとして「マケレレロール(Makélélé Role)」と呼ばれることもある。

元妻はラッシュアワー3に出演している女優でスーパーモデルのノエミ・ルノワール。息子が一人いる。
スパイクやその他の用具はNIKE社と契約している。
イングランドでは現在もボランチという言葉はあまり使われず、ディフェンシブミッドフィルダーもしくはマケレレポジションと呼ばれている。
imagesCG6OJJ8I.jpg
1973年2月18日にザイールにて生まれ、1977年にフランス、サヴィニー=ル=タンプルへと移る。15歳の頃にムランのクラブであるUSムランに加入し、そこではリリアン・テュラムらと共にプレーした。

1993年、リーグ・アンのFCナントでキャリアをスタートし、フランス国籍を獲得。身体能力の高さを活かした活躍が評価され、1995年7月22日のノルウェー戦でフランス代表デビューを果たす。また1995-96シーズンではUEFAチャンピオンズリーグベスト4進出に貢献した。さらにその年に、アトランタ五輪にフランス代表として出場するがベスト8で敗退。

その後オリンピック・マルセイユを経て、1998年にリーガ・エスパニョーラのセルタ・デ・ビーゴへ移籍。UEFAカップにおいてリヴァプールFC、ユヴェントスFCら強豪を破った試合で活躍し、マケレレの評価は上昇した。

2000年にはレアル・マドリードへ移籍し、超攻撃的サッカーを標榜するスター集団の中において、中盤の守備を担うハードワーカーとして活躍し、2001-02シーズンにはチャンピオンズリーグの制覇に貢献。当時のチームメイトから「彼こそ、俺たちのバロンドールだ」という、最大級の賛辞が送られた。2002年、フランス代表は日韓W杯に出場するが、マケレレは出場機会に恵まれず、FWの不調やエースジネディーヌ・ジダンの故障も響きグループリーグで敗退する。しかし、クラブでは攻撃重視の選手を擁する中盤の底で守備を担い、イバン・エルゲラや最終ラインを支えるフェルナンド・イエロと共に守備の役割をしっかりとこなし、チームに欠かせない存在であった。しかし2002-03シーズン終了後、給料の問題などもありレアル・マドリードを退団。もっとも自身は後のインタビューの中で、自身の仕事に敬意を払われなかったことが問題なのであり、当時のレアル・マドリードの会長、フロレンティーノ・ペレスに「どんなに金を積まれても、私は出て行く」と言ったと述べている。その後レアル・マドリードは失点が増加、マケレレへの依存度が高かったにも関わらず彼を評価できなかったぺレス会長には批判が浴びせられた。
mmm.jpg
その後ロシアの石油王、ロマン・アブラモヴィッチが新オーナーとなったチェルシーFCへ移籍。移籍後初シーズンはプレミアリーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではASモナコに準決勝で敗れるなど、タイトルを手にすることはできなかった。しかし2004-05シーズンにはプレミアリーグとフットボールリーグカップを獲得。2004年より監督に就任したジョゼ・モウリーニョはマケレレをシーズンの最優秀選手と褒め称え、FIFProによる2005年のベストイレブンにもチームメイトであるフランク・ランパードやジョン・テリーらと共に選出された。

また、EURO2004以降代表から遠ざかっていたが、2006年ドイツW杯の欧州予選でフランス代表は予選敗退の危機を迎える。ドメネク監督の希望によりジダン、リリアン・テュラムとともに代表に復帰し、見事土壇場からの予選通過に貢献する。2006年5月15日、本選出場メンバーに選ばれ決勝戦まで進んだが、PK戦の末に準優勝に終わる。W杯終了後、地元のTV局のインタビューで、代表引退を明らかにしたが、ユーロ2008の予選でドメネク監督に招集され、モウリーニョ監督を巻き込み騒動となった。EURO2008本大会にも招集されたものの、チームはグループリーグ敗退。改めて代表引退を発表した。代表引退の記者会見の席で、フランス代表としてはメジャーなタイトルを得られなかったことについては「フランス代表のユニフォームを着ることができたことが、私のトロフィーだ」と語っている。

2008年7月21日、パリ・サンジェルマンFCがマケレレの獲得に関してチェルシーと合意。同時にキャプテンにも就任した。2010-11シーズン終了後に現役引退。

古巣のパリ・サンジェルマンで名将カルロ・アンチェロッティ監督の下でアシスタントコーチを経験した後、リーグ・アンの2014-2015シーズンからSCバスティアの監督に就任。しかし、12試合で2勝しか挙げられず、11月3日に解任された。その後、2016年1月8日にASモナコのテクニカルディレクター就任が発表された。

【動画】

総合評価
攻撃力【4】
守備力【10】
センス【8】
posted by よしき at 12:00| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

ポール・ポグバ(Paul Labile Pogba)〜ユベントスの新帝王〜

無題.png
こんにちわ

本日紹介する選手はポール・ポグバ選手です。

【経歴】
マンチェスター・ユナイテッドFC 2011-2012
ユヴェントスFC 2012-

フランス・セーヌ=エ=マルヌ県出身のサッカー選手。セリエAのユヴェントスFCに所属する。ポジションはMF。ギニア代表のフロランタン・ポグバとマティアス・ポグバは双子の兄である。

ギニア系の両親をルーツに持つ。2009年にマンチェスター・ユナイテッドFCの下部組織に入団し、2011年にトップチームに昇格した。9月19日、フットボールリーグカップのリーズ・ユナイテッドAFC戦でプロデビューを果たした。2012年1月31日のストーク・シティFC戦でプレミアリーグデビュー。

2012年8月3日、出場機会を求めてフリートランスファーでユヴェントスFCへ移籍。10月20日のSSCナポリ戦で移籍後初ゴールならびにプロ初ゴールを決めた。2012-13シーズンは27試合に出場し5ゴールを決めてユヴェントスの連覇に貢献し、一躍トップクラスの選手へと躍り出た。
2013-14シーズンはシーズン開幕直後のクラウディオ・マルキジオの負傷によってスタメンを確保。マルキジオの復帰後もレギュラーとして活躍し35試合に出場して7ゴールを挙げるなどチームの三連覇に貢献した。
2015-16シーズンから背番号を6から『10』に変更することを、クラブ公式Twitter上で発表した[1]。『10』番はミシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、カルロス・テベスといった名選手が着用していた番号である。
imagesO1FQYVQW.jpg
【代表】
フランス代表として、UEFA U-17欧州選手権2010に出場した。
2013年3月22日に行われた2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のグルジア代表との試合でラファエル・ヴァラーヌと共にA代表デビューを果たし、先発フル出場した。
2013 FIFA U-20ワールドカップでは主将を務め、優勝に貢献。大会最優秀選手にも選ばれた。

【特徴・プレースタイル】
プレースタイルはCMFとDMFを得意としており、188cmという恵まれた体系とアフリカ系特有の身体能力、確かなテクニックを兼ね備えた”ヴィエラ二世”ともいわれるフランスの超逸材。
足元の技術も非常に高く、とてもやわらかいタッチをします。さらに長い手足を生かしたあのボールキープは圧巻です。相手と競り合いになると長い足を上手く使ってすぐにマイボールにしてしまう。更にMFとは思えないパワフルなシュートも持ち味で、ナポリ戦で決めたミドルシュートはおそらくユベンティーノたちの間で語り継がれる。

【動画〜最大の武器は強烈なミドルシュート〜】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【4】
センス【8】
posted by よしき at 07:00| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月22日

レイヴァン・クルザワ(Layvin Kurzawa)〜元祖くるざわ君〜

k.png
こんにちわ

本日紹介する選手はレイヴァン・クルザワ選手です。

フランス・フレジュス出身のサッカー選手。ポジションはDF。パリ・サンジェルマンFC所属。

経歴
2004年からASモナコユースに所属し、9月22日、クープ・ドゥ・ラ・リーグのRCランス戦でプロデビューを果たした。9月25日、FCロリアン戦でリーグ・アンデビューを果たした。
2015年8月、リュカ・ディニュをASローマに放出したパリ・サンジェルマンと5年契約で移籍決定。移籍金は2500万ユーロ。

代表歴
ポーランド人の父親を持つクルザワは、ポーランド代表としてもプレーする事が出来たが フランス代表として各年代でプレーし、2014年11月14日、アルバニア代表戦でリュカ・ディニュとの交代途中出場でA代表デビューを果たした。
imagesCIJAEIGI.jpg

【注目の動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】
posted by よしき at 07:00| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月19日

エンゴロ・カンテ(N'Golo Kanté)〜レスター発マケレレ2世〜

images.jpg
こんにちわ

本日紹介する選手はエンゴロ・カンテ選手です。

フランスの首都パリ出身のサッカー選手。プレミアリーグのレスター・シティに所属し、ポジションはセンターハーフを務める。

クラブ経歴
初期のキャリア
カンテはブローニュのユースチームで成長し、2012年5月18日に行われ、ホームで1-2で敗れたリーグ・ドゥのASモナコ戦でトップチームデビューを果たした[3]。チームが降格したため2012-13シーズンはフランス全国選手権でプレイし、2013年にリーグ・ドゥに所属していたカーンに移籍することになった。2013-14シーズンのリーグ戦では37試合に出場し3ゴールを挙げ、2位でシーズンを終えたカーンはリーグ・アンへ昇格することになった。
無題.png
レスターシティ
2015年8月3日にレスター・シティへ移籍が決定し、カンテは4年間の契約を結んだ。移籍金額は公表されていないが、800万ユーロと報じられた。2015年11月7日にキング・パワー・スタジアムで行われ、2-1で勝利したワトフォード戦でプレミアリーグ初ゴールを記録した.。カンテは多くのタックル数やインターセプト数を記録し、レスター・シティにおける安定した活躍は多くの解説者から称賛され、2015-16シーズンのレスターの躍進の要因の一つであると考えられた。

【注目の動画】


総合評価
攻撃力【4】
守備力【8】
センス【7】
posted by よしき at 19:00| Comment(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。