2016年08月04日

エデル(Éder Citadin Martins)〜イタリア期待の星〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はエデル選手です。

ブラジル出身のサッカー選手。セリエA・インテル・ミラノ所属。ポジションはフォワード。イタリア代表。

【経歴】
2006年から3年間エンポリFCに在籍したが出場機会に恵まれず、チームもセリエB降格。移籍したフロジノーネ・カルチョで頭角を現し、エンポリ復帰後40試合に出場27得点をあげてセリエB得点王を獲得。ローンを経て2012年セリエA昇格が決まったUCサンプドリアに移籍し中心選手となった。

2016年1月にインテル・ミラノに移籍決定。背番号はサンプドリア時代と同じ23番。

【動画】


※イタリア代表でも活躍、高騰するエデルの市場価値
サンプドリアのFWエデルがイタリアにやって来たのは、2005年1月のことである。移籍金55万ユーロでエンポリに加入してから10年。今やイタリア代表として活躍するまでの選手に成長した。
もっとも、すべてが順調だったわけではない。セリエBフロジノーネで才能を発揮するのはエンポリ加入から3年後の2008シーズンである。爆発的なスピードとシュートセンスを備えているものの、点の取れないアタッカー。それまでのエデルに対する評価はそういうものだった。




以前からエデルを高く評価していたのは、現パレルモ監督イアキーニだ。2010-2011シーズンでブレシアの主力選手として起用。2012年1月には、セリエA昇格を目指すサンプの切り札としてチームに呼び寄せた。
2013年11月にミハイロビッチがサンプの監督に就任すると、その才能が大きく開花する。強烈なシュートとゴール前での判断力、スピードに乗った突破に加えて怪我の少ないエデルは、「セリエAの中でも完成度の高いアタッカー」と認識されるようになる。
抜群の攻撃力とは別に、高い守備力も持ち味だ。かつてインテルで三冠を達成したモウリーニョ監督がエトーに命じたように、サイドでの守備も献身的にこなしている。陽気な性格に加えて謙虚な姿勢も忘れず、軽率な言動で問題を引き起こすこともない。
サンプとの契約は2017年6月まで。エデルに注目しているクラブは少なくないだろう。現在の市場価値がいくらなのかは分からないが、2012年にサンプが投じた330万ユーロの数倍であることは間違いない。1000万ユーロの提示をしても「ご冗談でしょう」と本気にされないかもしれない。
【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【6】
センス【7】


posted by よしき at 23:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月26日

パブロ・ダニエル・オスヴァルド(Pablo Daniel Osvaldo)〜瞬間湯沸し器・ジャーニーマン〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はオスヴァルド選手です。

アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のイタリア代表サッカー選手。FCポルト所属。ポジションはフォワード。

ドリブルでの仕掛けやゴールエリア内での正確なシュートを武器とし、本人がもっとも好むセンターフォワード以外にもセカンドトップやウィングなど前線の複数のポジションをこなすことができる。しかし、いわゆる "瞬間湯沸し器" タイプの選手で、所属したチームでは必ず選手や首脳陣、サポーターと対立するなど、扱い難い選手として知られており、その結果ジャーニーマンに成り下がっている要因になっている。

ローマ
2011年8月25日、ASローマに5年契約の移籍金総額1750万ユーロで移籍[4]。ボローニャ時代以来1年半ぶりのイタリア復帰となった。11月25日のウディネーゼ戦後、同僚のエリク・ラメラを殴ったとしてクラブから10日間の謹慎処分と罰金が課された[5]。また、2012年2月26日の古巣アタランタ戦ではMFルカ・チガリーニを蹴って退場になり、2試合の出場停止処分を受けた[6]。このようなトラブルや度重なる負傷にもかかわらず、シーズン全体では26試合でチーム最多の11得点をあげ、セリエAでは自身初の2桁得点を記録した。

2年目は迷走を極める中でチームトップの16ゴールを挙げた。しかし、2013年2月10日のサンプドリア戦でダニエレ・ガスタルデッロに倒されPKを獲得した際に本来キッカーであるはずのフランチェスコ・トッティからその座を奪って蹴ったが、これを失敗。試合後には空港でサポーターと揉み合いになった。コッパ・イタリア決勝では宿敵ラツィオに0-1で敗れ準優勝に終わりヨーロッパリーグ出場を逃すと、表彰式を欠席しさらにアウレリオ・アンドレアッツォーリ監督(当時)に対してツイッターで「無能なことを認めればよかったものを。ラツィオの連中と祝っていればいい」と侮辱するような呟きをしたため、当初はFIFAコンフェデレーションズカップ2013の代表メンバーに選出されていたが、この騒動によってチェーザレ・プランデッリ監督により代表を追放される事態となった。
新監督に就任したリュディ・ガルシアには一定の評価を受けていたが、サポーターとの対立は日を追うごとに深まっていった。
【動画】




総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 23:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月26日

アレッサンドロ・ルカレッリ(Alessandro Lucarelli)〜パルマに残り続けるレジェンド〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はアレッサンドロ・ルカレッリ選手です。

イタリア・リヴォルノ出身のサッカー選手。セリエDのパルマ所属。ポジションはDF。

兄は元イタリア代表のクリスティアーノ・ルカレッリ。

1996年にピアチェンツァでプロデビュー。ピアチェンツァでは6年間を過ごし、下部リーグのパレルモ、フィオレンティーナなどでのプレーも経験。2004-05シーズンにはリヴォルノのセリエA残留に貢献。2005年からはレッジーナで守備陣の中核として活躍した。

2007-08シーズンはジェノアCFCのセリエA残留に貢献し、翌シーズンはパルマFCにて兄と共にセリエA昇格に貢献。パルマではキャプテンとしてチームを牽引した。

2015年3月にパルマは財政破綻しセリエDへの降格が決定したが、長らくキャプテンを務めていたルカレッリはクラブに残留することを決意。現在はイタリア4部に相当するセリエDでプレーしている。


【注目の動画】

総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
ラベル:df
posted by よしき at 18:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドンナルンマ(ジャンルイジ・ドンナルンマ)

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こんにちわ

本日紹介する選手はドンナルンマ選手です。

【プロフィール】
イタリアカンパニア州ナポリ県カステッランマーレ・ディ・スタービア出身のサッカー選手。セリエA・ACミラン所属。ポジションはゴールキーパー。

シニシャ・ミハイロヴィチ監督によってユースから昇格し、第三ゴールキーパーとなった。インターナショナル・チャンピオンズ・カップ 2015でインテル、レアル・マドリードの両チームと対戦し、7月30日のレアル・マドリード戦の72分にディエゴ・ロペスに代わりプロデビューを果たした。この試合では残り時間を無失点に抑えたものの、その後のPK戦で彼が得点に失敗した事によって敗北を喫した。
2015年10月25日のサン・シーロで行われたUSサッスオーロ・カルチョ戦ではリーグ戦初出場を果たし、スターティングメンバーにも名を連ねた。この初出場に際してはディエゴ・ロペスが以前の三試合で勝利を摑めなかった事があり、これによって若き彼はセリエAでのデビューを果たした。この16歳8ヶ月の記録はゴールキーパーとして最も若い記録となっている。ミハイロヴィチ監督には「イタリアサッカーの未来」と称される程にその能力を買われている。無失点に抑えた初試合はその三日後のACキエーヴォ・ヴェローナ戦であり、1-0の勝利でこの試合を終えた。11月8日には4試合目の出場となり、海外のメディアからも注目され、アタランタBC相手にスコアレスドローの結果を出した。




【動画】


総合評価
攻撃力【3】
守備力【8】
センス【9】
posted by よしき at 05:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

フェデリコ・ベルナルデスキ(Federico Bernardeschi)〜前線に質の高いラストパスを送り込むファンタジア〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はフェデリコ・ベルナルデスキ選手です。

イタリア・トスカーナ州マッサ=カッラーラ県カッラーラ出身のサッカー選手。セリエA・ACFフィオレンティーナ所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

人物
10歳からフィオレンティーナの下部組織で育成され、各年齢のカテゴリにおいて常にチームのエースとして活躍してきた最も有望な選手の1人である。2011年には世界屈指のビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドFCからオファーを受けるも、クラブ愛を示しフィオレンティーナ残留を望んだ[5]。プロデビュー後の活躍からイタリア全国スポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルトには「フィオレンティーナの才能」「新たなバッジョ」と書かれ、これらのエピソードによってクラブとファンから将来の飛躍を嘱望されている。愛称は 姓の短縮形である「ベルナ」と呼ばれている。
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ポジション
プロデビュー後のクロトーネ在籍時は、主に利き足である左足でカットインドリブルが可能な右ウィングでプレーした。フィオレンティーナに復帰後は3-4-2-1のシャドーストライカーや左右のサイドハーフとして起用されている。 スタイルが似ているとされる同い年のドメニコ・ベラルディとの比較では、ウィング寄りのベラルディに対し、ベルナルデスキはよりトップ下的なプレーヤーと評される[25]。本人は「好きなポジションは特になく、攻撃的な全ての役割が得意」と考えている。実際に左右両ウィングのポジションを問題なくカバーし、試合中にもトレクァルティスタの位置や逆サイドに頻繁にポジションチェンジを行う。
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プレースタイル
強力かつ正確なキックから繰り出される威力あるフリーキックが武器である。その正確なキックは試合中の流れの中でも見られ、速いライナー性の長短のシュートを巧みにコントロールする事ができる。クロトーネ在籍時はテクニックの高さやレフティの右ウィングである事からアレッシオ・チェルチとも比較されたが、ベルナルデスキはよりクレバーさも兼ね揃えているプレーヤーだと評された[26]。また、みずからフィニッシュに絡むだけではなく、前線に質の高いラストパスを送り込むファンタジアと戦術センスをそなえている。特定のシーンでやや個人プレーになる以外の欠点はない。

エピソード
フィオレンティーナ入団時には最も興味深い才能と認められ、在籍当初から背番号10番を渡された。その後の下部組織のチームでも10番を身に着けていた[24]。フィオレンティーナ復帰後の2年目からはシニアでも10番を着用。
2011年にマンチェスター・ユナイテッドFCからオファーを受けた時は、本人は「興味が持てなかった」という理由で断ったと後に明かしている。
クロトーネ移籍後のインタビューでは「出来るだけ早くフィレンツェに戻って、フィオレンティーナでセリエAを戦うのが夢だ」と話した。
インタビューにおいて参考にしている選手は「アレッサンドロ・ディアマンティ」と答えている。
右腕に彫られたタトゥーは女優のオードリー・ヘップバーンの肖像である。

【注目の動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
posted by よしき at 11:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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