2016年02月10日

アレッサンドロ・ディアマンティ(Alessandro Diamanti)〜イタリアンジャーニー〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はアレッサンドロ・ディアマンティ選手です。

イタリア・プラート出身のサッカー選手。セリエA・アタランタBC所属。ポジションはミッドフィルダー、フォワード。

トップ下(トレクァルティスタ)でのプレーを得意とする左利きのファンタジスタ。好不調の波は激しいが、運動量豊富で創造性も確かと評される。キックの精度が高く、流れの中からでも無回転シュートを放つことができる。

1999年に生まれ故郷のクラブであるACプラートでデビュー。エンポリFCやACFフィオレンティーナへのレンタル移籍を経験した後、2004年にUCアルビーノレッフェに共同保有権が譲渡される。同チームで1シーズン半プレーした後、2006年にACプラートが保有権を買い戻した。2006-07シーズンは3シーズンぶりに復帰した古巣でセリエC2を舞台に戦い、31試合で15得点を挙げた。

この活躍が認められ、2007年夏にセリエAのASリヴォルノ・カルチョへ完全移籍。1年目から14試合に先発し12試合で途中出場したが、チームは最下位に終わりセリエB降格。2年目はリーグ戦とカップ戦で計39試合に出場して20得点を挙げるなど攻撃の中心を担い、チームのセリエA復帰の原動力となった。これによりインテルをはじめとする国内外のクラブの注目を集め、2009年夏の移籍市場でその動向が注目された。

2009−10シーズン開幕直後に同国人のジャンフランコ・ゾラが率いるプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCに5年契約で完全移籍。サポーターによるシーズンMVP投票ではスコット・パーカーに次ぐ2位に選ばれたが、ゾラ監督が解任されたこともありわずか1年で国内復帰を決意する。

2010年夏の移籍市場でブレシア・カルチョに移籍。移籍金は220万ユーロ(約2億4000万円)。32試合に出場しアンドレア・カラッチョロに次いでチーム内2位の6得点を挙げたが、チームは19位でシーズンを終えセリエBに降格した。




2011年夏の移籍市場でボローニャFCに共同保有権が譲渡され、2011−12シーズンは同チームでプレーすることになった[4]。2012年4月12日のカリアリ戦では決勝点となるフリーキックを決め、チームの一部残留を手繰り寄せた[5]。なお、このゴールを祝う際にユニフォームを脱いで愛妻へのメッセージが書かれたアンダーシャツを見せたが、この行為でイエローカードを受けている。

2014年2月7日、中国スーパーリーグ・広州恒大足球倶楽部への移籍が発表された。

2015年1月10日、広州恒大足球倶楽部から半年レンタル、200万ユーロで完全移籍のオプション付きでACFフィオレンティーナに移籍することが発表された[7]。2014-15シーズン途中に加入で公式戦15試合に出場して2ゴールを記録していたが、完全移籍には至らなかった。

2015年8月17日、中国の広州恒大からイングランドのワトフォードFCへレンタル移籍をした。

2010年11月17日、ルーマニアとの親善試合でイタリア代表デビューを果たし、前半のみで退いた。
代表歴わずか1キャップで予選にも出場していなかったが、チェーザレ・プランデッリ監督によりEURO2012のメンバーに抜擢される。グループリーグ第3戦のアイルランド戦に途中出場すると、コーナーキックからマリオ・バロテッリのゴールをアシストした。準々決勝のイングランド戦でも後半にアントニオ・カッサーノとの交代で出場。延長戦ではクロスがポストを叩く惜しい場面を演出し、PK戦では5人目のキッカーを任されると落ち着いてこれを決め、チームの準決勝進出に貢献した。

FIFAコンフェデレーションズカップ2013の3位決定戦、ウルグアイ戦で代表初得点を挙げた。

しかし、2014年ブラジルW杯では2月に決断した中国行きが、国外組の招集に消極的なプランデッリ監督の逆鱗に触れ、本大会メンバーから落選した。

総合評価
攻撃力【7】
守備力【4】
センス【8】


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2016年02月07日

マルコ・マテラッツィ(Marco Materazzi)〜ナガトモ大好き悪童〜

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こんにちわ
本日紹介する選手はマルコ・マテラッツィ選手です。

イタリア・プッリャ州レッチェ県レッチェ出身のプロサッカー選手・サッカー指導者。インディアン・スーパーリーグ・チェンナイインFC所属。ポジションはディフェンダー。

【カード王】
非常にアグレッシブなプレースタイルで知られ、通算で60枚以上のイエローカードと25枚以上のレッドカードをもらっている。

【エピソード】
2007年1月28日のUCサンプドリア戦において、サンプドリアのMFジェンナーロ・デルヴェッキオがインテルのGKジュリオ・セーザルに激しく接触したことにマテラッツィが抗議。両者は口論になり、デルヴェッキオがマテラッツィに頭突きを浴びせた。結果、デルヴェッキオは一発退場、激昂し抗議し続けたマテラッツィにもイエローカードが提示された。試合後マテラッツィは「(頭突きを食らって勝てるのなら)それでいい」と前向きに言い放った。
2010年1月24日のACミラン戦で勝利した試合終了直後に、イタリア首相でミランのオーナーでもあるシルヴィオ・ベルルスコーニの顔を模したマスクをかぶってピッチに現れ、チームメートと勝利を喜びあったことがイタリア国内で物議を醸した。後日、自身のホームページで「あれはほんのジョークのつもりだった。いつだって僕がやることは問題になる。どこでも売っているようなカーニバル用のマスクでさえもね。トラブルを起こすつもりなんかなかったし、むろん、揶揄したり政治的な意味があるなんてことはまったくない。ベルルスコーニ氏自身、痛烈な皮肉好きの人物なのだから、今回のことは笑って許してくれると思う」と釈明をした。
2010年4月20日に行われたバルセロナとのチャンピオンズリーグ準決勝ファーストレグの試合終了後、ファンの批判に怒ってユニフォームを地面に投げつけたマリオ・バロテッリに激怒し、ロッカールームで制裁を加えた。この様子を目撃したズラタン・イブラヒモビッチは「マテラッツィはバロテッリを殺す勢いだった」と語っている

【ジダン頭突き事件】
2006 FIFAワールドカップの決勝戦(イタリア代表対フランス代表)において、フランス代表のジネディーヌ・ジダンがイタリア代表のマルコ・マテラッツィへの頭突きにより退場。

【動画】


総合評価
攻撃力【5】
守備力【8】
センス【6】
posted by よしき at 14:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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