2018年07月20日

アレクサンドル・ソング(Alexandre Dimitri Song Billong)〜今はウエストハムにいます〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はアレクサンドル・ソング選手です。


カメルーン・ドゥアラ出身のサッカー選手。プレミアリーグ・ウェストハム・ユナイテッドFC所属。カメルーン代表。ポジションはミッドフィールダー。

サッカーカメルーン代表、リゴベール・ソングの甥ということもあり早くから注目を集めていた。
アーセナルのアーセン・ベンゲル監督からは「将来はクラブの偉大なセンターバックになる」と評されている。
かつてソングの獲得については「アーセン・ベンゲルの最大の失敗」と言われたことがある。しかしながら2009-2010シーズンでは攻守両面において成長、主力の一員となり、プレミアでも一線級の選手となりつつある。かつては長所が非常に解り辛い選手であったソングの才能を17歳の時点で見抜いたことで、ベンゲルの手腕が改めて評価された。
日本食が好物である。
アーセナルでは背番号17を背負っていたが、これは兄弟が17人いることから。
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クラブ
SCバスティアでプロとしてのキャリアをスタート。2005年にアーセナルFCのトライアウトを受験し、これに合格した。2007年1月からシーズン終了まで、チャールトンへレンタル移籍。07-08シーズンからはアーセナルへ戻った。
08-09シーズンは退団したマチュー・フラミニの後釜として期待されるも、序盤戦ではミスを連発。安定感を欠くプレーで経験不足を露呈した。しかしながらシーズン終盤へかけて急激にパフォーマンスが向上し、次のシーズンへの飛躍が期待されるようになった。

09-10シーズン、アーセナルが伝統の4-4-2のフォーメーションを4-3-3へ変更。その中でソングは中盤の底という重要なポジションを任されることとなった。シーズン前は懐疑的な声も多かったが、ソングは新しいシステムに見事順応。才能を開花させ不動のスタメンとなり、見事にその評価を覆している。
11-12シーズン、不動のレギュラーとして活躍。優れたボディバランスとボール奪取能力、さらには成長したパスの能力でエヴァートン戦、リヴァプール戦でのファンペルシーのビューティフルゴールを演出するなどセスクの穴を埋める活躍を見せた。




2012年8月、FCバルセロナに移籍。移籍金は1900万ポンド。契約は5年間。2013-14シーズンから背番号を25番からアーセナルで着用していた17番に変更。
2014年8月30日、出場機会を求めてウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍した。2014-15シーズン終了後に一度はFCバルセロナに復帰するも、2015年9月1日に再びウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍することを発表した。
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代表
アフリカネイションズカップ2008ではカメルーン代表初招集ながら、初戦のエジプト戦の後半から出場し、以降スタメンに定着。チームを準優勝へ導き大会ベストイレブンに選出された。
2014 FIFAワールドカップでは対クロアチア戦で、40分にマリオ・マンジュキッチに対しわざと肘打ちしたため、レッドカードを提示され一発退場となった。チームは0-4で敗れ、グループリーグ敗退の一因となった。
2015年1月6日、代表引退を発表した。


【注目の動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】


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2016年11月26日

ヴァンサン・アブバカル(Vincent Paté Aboubakar)〜エトーの正当後継者〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はアブバカル選手です。

カメルーン・ヤウンデ出身のサッカー選手。FCポルト所属。ポジションはFW。

【クラブ】
2006年にコトンスポール・ガルアのユースチームでキャリアをスタートさせ、2009年にトップチームに昇格した。2010年5月26日、フランスのヴァランシエンヌFCに3年契約で移籍した。2013年6月、FCロリアンへ移籍。
2014年8月24日、FCポルトに4年契約で移籍した。
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【代表】
カメルーン代表として、2010年5月29日の親善試合のスロバキア代表戦でデビューした。その後2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選出された。これは出場全チームの選手中2番目に若い年齢である。グループリーグ第2戦のデンマーク戦と第3戦のオランダ戦に途中出場したが、チームは3連敗しグループ最下位で敗退した。ワールドカップ後最初の試合となったポーランドとの親善試合で代表初得点を記録。

【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】
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2016年03月02日

サミュエル・エトオ(Samuel Eto'o Fils)〜カメルーンの黒い宝石〜

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こんにちは

本日の紹介選手はサミュエル・エトオ選手です。

カメルーン・リトラル州ドゥアラ出身のサッカー選手。アンタルヤスポル所属。元カメルーン代表。ポジションはフォワード。

カメルーン代表の最多得点記録保持者であり、史上最多の4度のアフリカ年間最優秀選手賞受賞、2度のアフリカネイションズカップ優勝、3度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝など数々の栄誉を手にしている。
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自らも少年時代には十分な環境でサッカーが出来なかった経験から、母国では自ら出資してサッカー教室を作った。
16歳でレアル・マドリードへ移籍する際、イングランドやイタリアからもアプローチがあったようだが、本人がスペインサッカーに最も惹かれていたこともありスペイン行きとなった。フランスのスタイルも気に入っているらしい。ちなみに初めて欧州へ移籍してきたとき間違えてスペインではなくフランスの空港に降りてしまった。
レアル・マドリード時代トヨタカップ優勝を経験しているため、カメルーンに凱旋したときカルロス国王から賞賛されている。その写真はカジ・スポーツアカデミーの食堂に飾ってある模様。
グアルディオラ政権となってから、一度戦力外通告を受けていたが、プレシーズンマッチで奮起し毎試合のようにゴールを奪い続け、監督の信頼を勝ち取った。アフリカネイションズカップ中にもバルセロナの試合を気にし続けるなど、クラブに対する深い忠誠心とプロ意識を持っている。もっとも、エトーは自らの心のクラブはマジョルカであると公言しており、スペインのクラブでキャリアを終えるとすればマジョルカで終えたいとインタビューで語っている。
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2004-05シーズン、カンプ・ノウで行われた優勝報告会において、超満員に膨れ上がった観衆の前で「Madrid ,cabrón saluda al campeon!(くそったれマドリー、チャンピオンに挨拶しろ!)」(cabrónはかなり強い侮蔑の言葉)と叫び物議を醸し、翌16日に謝罪会見を開いた。
2009-10シーズンの11月に古巣バルセロナとカンプノウで対戦した際、スタメン発表時にスタンディングオベーションで迎えられた。試合後にジェラール・ピケと抱擁しバルサTVのインタビューに応じた。
弟のダビド・エトオはマジョルカの下部組織出身で現在はテルセーラ・ディヴィジョン(4部相当)のレウス・デポルチウに所属している。
自他共に認める車好きだが、何度か事故を起こしている。
幼い頃に父親に腕時計を買ってもらって以降、腕時計にはこだわりがあり、自らプロデュースも行っている。2010年W杯予選の際は「カメルーンがW杯に出場できたらチームメイト全員に腕時計をプレゼントする」と宣言し、実際に出場決定後、自らのブランドの450万円相当の腕時計を贈った。
携帯電話のマニアとして知られており、400台もの携帯を所持している(そのうち14台は別々の国、電話番号で稼働中)。また、2012年1月には母国カメルーンで携帯電話会社を設立した。
インテルに移籍後、現時点で世界最高の選手は誰かと問われ、「その選手とは一緒にプレーしたことがある。もちろんメッシだ。」と答えている。
異なるクラブでチャンピオンズリーグ2年連続優勝を経験したのはマルセル・デサイー、パウロ・ソウザ、ジェラール・ピケ、エトオの4人だけである。
夫人との間に3人の子供がいるが、サルデーニャ島に住む愛人との間に一子を儲けている。

総合評価
攻撃力【8】
守備力【7】
センス【7】


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