2016年07月10日

ジョアン・マリオ(João Mário Naval da Costa Eduardo)〜ポルトガルの魔法使い〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はジョアン・マリオ選手です。

ジョアン・マリオ・ナヴァウ・ダ・コスタ・エドゥアルド(João Mário Naval da Costa Eduardo、1993年1月19日 - )は、ポルトガル・ポルト出身のサッカー選手。プリメイラ・リーガ・スポルティングCP所属。ポジションはMF。ポルトガル代表。


クラブ経歴
2004年に当時11歳で強豪・スポルティングCPのユースへ入団。2011年12月24日のUEFAヨーロッパリーグのSSラツィオ戦に出場し、Bチームに昇格する前にトップチームデビューを果たした。2012-13シーズンからBチームに昇格し44試合2得点を記録した。
ヴィトーリア・セトゥーバルへの半年間のレンタル移籍を経て、2014年にトップチームに昇格。2014-15シーズンからはレギュラーを獲得している。

代表歴
ポルトガル代表として各年代でプレーし、U-15からU-21までの世代で計82試合に出場した。
2014年10月11日に行われたフランス代表との親善試合にてクリスティアーノ・ロナウドとの交代で76分から出場し、A代表デビューを果たした。






【注目の動画】


総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】
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※ヴィトーリアFC (ポルトガル)
ヴィトーリア・フトゥボル・クルーベ(ポルトガル語: Vitória Futebol Clube)は、ポルトガル南西部の都市セトゥーバルを本拠地とするサッカークラブである。ヴィトーリアSC (ヴィトーリア・ギマランイス) と区別するため、ヴィトーリア・セトゥーバル (Vitória de Setúbal) と呼ばれることが多い。創設当初はVictoria Foot-Ball Clubと英語表記であった。
いまだヨーロッパの大会での優勝経験はないものの、UEFAカップでリヴァプールやインテルを倒したこともあるように、常にダークホース的な存在である。
同じヴィトーリアを冠したヴィトーリアSCとの試合はダービーの様相を呈する。




posted by よしき at 12:00| Comment(0) | ポルトガル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

ペドロ・パウレタ(Pedro Miguel Carreiro Resendes)〜リーグ・アンで得点王に3度輝く〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はパウレタ選手です。

プロサッカー選手として18年間プレーしたが、ポルトガルのスーペル・リーガ(1部)では一度もプレーしたことがない。経歴のほとんどをスペインとフランスで過ごし、リーグ・アンでは得点王に3度輝いた。ポルトガル代表としては88試合に出場し47得点を挙げている。FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権に2度ずつ出場した。

両腕を翼のように広げるゴールパフォーマンスを行うことから、アソリスの鳥人(The Birdman of the Açores)というニックネームを持つ。
2005年11月、FIFAが行っているSOS子供の村の親善大使にポルトガル人として初めて就任した。



クラブ
初期の経歴
アゾレス諸島のサンミゲル島にあるポンタ・デルガダに生まれ、諸島内のクラブで育った。その後ポルトガル本土のFCポルトの下部組織に短期間だけ在籍したが、ホームシックにかかってアゾレス諸島に戻っている。1994年にCUミカエレンセと初のプロ契約を結び、1シーズンプレーした。1995年にはリーガ・デ・オンラ(2部)のGDエストリル=プライアに移籍し、30試合で19得点を挙げた。1996年にはスペイン・セグンダ・ディビシオン(2部)のUDサラマンカに移籍し、1996-97シーズンは19得点してプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に貢献した。1997-98シーズンは自身初のトップリーグで15得点を挙げた。1998年夏にはデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍し、2シーズンで92試合に出場して33得点した。1999-2000シーズンにはクラブ初のリーグ優勝を飾った。
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FCジロンダン・ボルドー
2000年9月、フランス・リーグ・アンのFCジロンダン・ボルドーに移籍した。FCナント戦(5-0)でデビューし、その試合でハットトリックを達成した。2000-01シーズンはチームトップとなる公式戦通算26得点を記録し、20得点を挙げたリーグ戦では得点ランキングの2位となった。2001年11月にはバロンドールの50人のリストにノミネートされたが、リーグ・アンからのノミネートはパウレタだけだった[5]。2001-02シーズンは22得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。公式戦通算では35得点を挙げ、2シーズン連続でチーム内得点王となっている。リーグ最優秀選手賞に選ばれ、さらに選手と監督の投票によるOscar of footballにも選ばれた。2001-02シーズンのクープ・ドゥ・ラ・リーグ決勝では2得点を挙げ、クラブ初のリーグカップ優勝に導いた。これらの活躍から、マンチェスター・シティFCのケヴィン・キーガン監督が獲得に興味を示したが、FCジロンダン・ボルドーのジャン=ルイ・トリオー(英語版)会長は初めは移籍話に興味がないとし、次に適正な金額のオファーが来た場合のみパウレタを売る可能性があるとした。2002-03シーズンはリーグ戦で23得点、公式戦通算で30得点を挙げ、リーグのベストイレブンと最優秀選手賞に選ばれた。FCジロンダン・ボルドーでは3シーズンでリーグ戦98試合に出場して65得点を挙げ、公式戦通算では130試合に出場して91得点を挙げた。これはクラブ歴代3位の得点数となった。
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パリ・サンジェルマンFC
2003年夏、パリ・サンジェルマンFCと3年契約を交わした。移籍金は1200万ユーロ。2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランスでは決勝のLBシャトールー戦で両チーム唯一の得点を挙げ、クラブにとって6年ぶりのタイトル獲得に貢献した。リーグ戦では37試合に出場して18得点を挙げ、3連覇のオリンピック・リヨンに次ぐ2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。2006年4月2日、古巣FCジロンダン・ボルドー戦(3-1)で移籍後初のハットトリックを達成した[14]。2005-06シーズンには自身2度目、移籍してから初の得点王となり、2006年にはリーグ5連覇中のオリンピック・リヨンからの関心が報じられたが、パウレタはパリ・サンジェルマンFCに残留し、2005-06シーズンのクープ・ドゥ・フランスで2シーズンぶりの優勝を飾った。パリ・サンジェルマンFC移籍後99得点目は素晴らしいボレーシュートで決め、100点目は教科書通りのヘディングシュートで決めた。2006-07シーズンには3度目の得点王のタイトルを獲得した。2007-08シーズンはリーグ・ドゥ(2部)降格の危機に直面したが、最終節でRCランスを上回って16位でリーグ・アン残留を決めた。
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2008年夏に35歳で現役引退を表明したが、結局ポルトガルのスーペル・リーガでのプレー経験は全くなかった。引退後もパリ・サンジェルマンFCに残ってスカウトとなった[17]。2009年5月後半、パルク・デ・プランスで行われた引退記念試合に臨み、彼の友人たちで構成されたチームと、パリ・サンジェルマンFCの現役選手・かつて所属した選手で構成されたチームの両方で前後半をプレーした。試合終盤には13歳の息子と交代し、代わって入った息子が2得点を挙げた。
2010年、出身地のアゾレス諸島にあるアマチュアクラブ、GDサン・ロケ(Grupo Desportivo São Roque)に加入してプレーし、2011年6月に改めて現役引退を発表した。

【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【9】
posted by よしき at 13:35| Comment(0) | ポルトガル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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