2016年11月26日

ファビオ・コエントラン(Fábio Alexandre da Silva Coentrão)〜イケメンイレブンの超常連〜※FIFA20 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はファビオ・コエントラン選手です。

ポルトガル・ヴィラ・ド・コンデ出身のプロサッカー選手。リーグ・アン・ASモナコ所属。ポジションはディフェンダー、フォワード。


【来歴】
リオ・アヴェ
2004年、16歳の時に地元のリオ・アヴェFCの下部組織に入団し、2005年にトップチームに昇格した。2005-06シーズンのクラブは低迷してリーガ・デ・オンラ(2部)降格となったが、2006-07シーズンにレギュラーの座を掴んだ。チームはあと一歩のところでプリメイラ・リーガ(1部)昇格を逃したが、タッサ・デ・ポルトガルでは快進撃を続け、スポルティング・リスボン戦(2-1)では30mの距離からのミドルシュートを決めた。シーズン終了後にはリーガ・デ・オンラのブレイクスルー・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、スポルティングやSLベンフィカを含む多くのクラブがコエントラン獲得に興味を示した。

ベンフィカ
2007年7月、SLベンフィカに移籍した。2007-08シーズン前半戦はわずかな出場機会しか与えられず、2008年1月1日にマデイラ諸島のCDナシオナルに半年間の契約でレンタル移籍した。5月3日のFCポルト戦(3-0)では2得点し、既にリーグ優勝を決めていたFCポルトから金星を挙げた。2008年夏にはオランダのフェイエノールトにレンタル移籍する寸前であったが、最終的にはスペインのサラゴサにレンタル移籍した[3]。2部に降格したばかりのサラゴサでもほとんど出場機会を得られず、2009年1月には古巣リオ・アヴェFCにレンタル移籍した。2月15日のFCポルト戦では独力での突破から得点したが、試合には1-3で敗れた。
2009年夏にベンフィカに復帰し、12月2日のUEFAヨーロッパリーグ・BATEボリソフ戦(2-1)では欧州カップ戦初得点を挙げた。2009-10シーズンは左サイドバックとして出場することが多く、公式戦通算43試合(2851分)に出場して飛躍的な成長を遂げたシーズンとなった。プリメイラ・リーガとタッサ・ダ・リーガの2冠を獲得し、個人的にはリーグのブレイクスルー・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(Breakthrough Player of the Year)を受賞した[5]。2010年9月27日、クラブとの契約を2016年まで延長した。10月2日のUEFAチャンピオンズリーグ・リヨン戦(4-3)では、ベンフィカ復帰後初の1試合2得点を達成した。

レアル・マドリード
2011年7月5日、レアル・マドリードと6年契約を結んだ。移籍金は3000万ユーロ。この契約とは関係なく、エセキエル・ガライがSLベンフィカに移籍した。7月16日、ロサンゼルス・ギャラクシーとのプレシーズンマッチでデビューし、カリム・ベンゼマの得点をアシストしてマン・オブ・ザ・マッチに選出された。スーペルコパ・デ・エスパーニャのFCバルセロナ戦ファーストレグが公式戦デビュー戦となり、2-2と拮抗していた後半途中にサミ・ケディラとの交代で途中出場した。この試合はセンターハーフとして出場したが、セカンドレグは左サイドバックとして先発出場した。8月28日、古巣レアル・サラゴサ戦でリーグデビューし、センターハーフとしてフル出場した。

【代表】
世代別ポルトガル代表の常連であり、2007年にU-20ポルトガル代表として出場したマデイラ・カップ(Madeira Cup)では得点王とMVPに輝いた。同年にはFIFA U-20ワールドカップにも出場し、U-21ポルトガル代表デビューも果たした。
2009-10シーズン序盤はクラブで先発出場することは稀だったが、出場した試合では安定したプレーを見せたため、2009年11月に初めてポルトガル代表に選出された。11月14日にエスタディオ・ダ・ルスで行われた2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のボスニア・ヘルツェゴビナ戦でデビューし、後半から出場してデビュー戦を1-0の勝利で飾った。カルロス・ケイロス監督によって2010 FIFAワールドカップ出場メンバーにも選ばれ、セルジオ・ドゥダなどを差し置いて左サイドバックの定位置をつかむと、決勝トーナメント1回戦で敗退するまで全試合に出場した。
2011年8月10日のルクセンブルクとの親善試合で代表初得点を挙げた。

【動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【7】
posted by よしき at 18:00| Comment(0) | ポルトガル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

ペドロ・パウレタ(Pedro Miguel Carreiro Resendes)〜リーグ・アンで得点王に3度輝く〜※FIFA21 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はパウレタ選手です。

プロサッカー選手として18年間プレーしたが、ポルトガルのスーペル・リーガ(1部)では一度もプレーしたことがない。経歴のほとんどをスペインとフランスで過ごし、リーグ・アンでは得点王に3度輝いた。ポルトガル代表としては88試合に出場し47得点を挙げている。FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権に2度ずつ出場した。

両腕を翼のように広げるゴールパフォーマンスを行うことから、アソリスの鳥人(The Birdman of the Açores)というニックネームを持つ。
2005年11月、FIFAが行っているSOS子供の村の親善大使にポルトガル人として初めて就任した。



クラブ
初期の経歴
アゾレス諸島のサンミゲル島にあるポンタ・デルガダに生まれ、諸島内のクラブで育った。その後ポルトガル本土のFCポルトの下部組織に短期間だけ在籍したが、ホームシックにかかってアゾレス諸島に戻っている。1994年にCUミカエレンセと初のプロ契約を結び、1シーズンプレーした。1995年にはリーガ・デ・オンラ(2部)のGDエストリル=プライアに移籍し、30試合で19得点を挙げた。1996年にはスペイン・セグンダ・ディビシオン(2部)のUDサラマンカに移籍し、1996-97シーズンは19得点してプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に貢献した。1997-98シーズンは自身初のトップリーグで15得点を挙げた。1998年夏にはデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍し、2シーズンで92試合に出場して33得点した。1999-2000シーズンにはクラブ初のリーグ優勝を飾った。
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FCジロンダン・ボルドー
2000年9月、フランス・リーグ・アンのFCジロンダン・ボルドーに移籍した。FCナント戦(5-0)でデビューし、その試合でハットトリックを達成した。2000-01シーズンはチームトップとなる公式戦通算26得点を記録し、20得点を挙げたリーグ戦では得点ランキングの2位となった。2001年11月にはバロンドールの50人のリストにノミネートされたが、リーグ・アンからのノミネートはパウレタだけだった[5]。2001-02シーズンは22得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。公式戦通算では35得点を挙げ、2シーズン連続でチーム内得点王となっている。リーグ最優秀選手賞に選ばれ、さらに選手と監督の投票によるOscar of footballにも選ばれた。2001-02シーズンのクープ・ドゥ・ラ・リーグ決勝では2得点を挙げ、クラブ初のリーグカップ優勝に導いた。これらの活躍から、マンチェスター・シティFCのケヴィン・キーガン監督が獲得に興味を示したが、FCジロンダン・ボルドーのジャン=ルイ・トリオー(英語版)会長は初めは移籍話に興味がないとし、次に適正な金額のオファーが来た場合のみパウレタを売る可能性があるとした。2002-03シーズンはリーグ戦で23得点、公式戦通算で30得点を挙げ、リーグのベストイレブンと最優秀選手賞に選ばれた。FCジロンダン・ボルドーでは3シーズンでリーグ戦98試合に出場して65得点を挙げ、公式戦通算では130試合に出場して91得点を挙げた。これはクラブ歴代3位の得点数となった。
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パリ・サンジェルマンFC
2003年夏、パリ・サンジェルマンFCと3年契約を交わした。移籍金は1200万ユーロ。2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランスでは決勝のLBシャトールー戦で両チーム唯一の得点を挙げ、クラブにとって6年ぶりのタイトル獲得に貢献した。リーグ戦では37試合に出場して18得点を挙げ、3連覇のオリンピック・リヨンに次ぐ2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。2006年4月2日、古巣FCジロンダン・ボルドー戦(3-1)で移籍後初のハットトリックを達成した[14]。2005-06シーズンには自身2度目、移籍してから初の得点王となり、2006年にはリーグ5連覇中のオリンピック・リヨンからの関心が報じられたが、パウレタはパリ・サンジェルマンFCに残留し、2005-06シーズンのクープ・ドゥ・フランスで2シーズンぶりの優勝を飾った。パリ・サンジェルマンFC移籍後99得点目は素晴らしいボレーシュートで決め、100点目は教科書通りのヘディングシュートで決めた。2006-07シーズンには3度目の得点王のタイトルを獲得した。2007-08シーズンはリーグ・ドゥ(2部)降格の危機に直面したが、最終節でRCランスを上回って16位でリーグ・アン残留を決めた。
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2008年夏に35歳で現役引退を表明したが、結局ポルトガルのスーペル・リーガでのプレー経験は全くなかった。引退後もパリ・サンジェルマンFCに残ってスカウトとなった[17]。2009年5月後半、パルク・デ・プランスで行われた引退記念試合に臨み、彼の友人たちで構成されたチームと、パリ・サンジェルマンFCの現役選手・かつて所属した選手で構成されたチームの両方で前後半をプレーした。試合終盤には13歳の息子と交代し、代わって入った息子が2得点を挙げた。
2010年、出身地のアゾレス諸島にあるアマチュアクラブ、GDサン・ロケ(Grupo Desportivo São Roque)に加入してプレーし、2011年6月に改めて現役引退を発表した。

【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【9】
posted by よしき at 13:35| Comment(0) | ポルトガル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする