2020年05月14日

ジャクソン・マルティネス(Jackson Arley Martínez Valencia)〜コロンビアの陽気な点取屋〜※FIFA21 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はジャクソン・マルティネス選手です。

コロンビア・キブド出身のサッカー選手。コロンビア代表。中国スーパーリーグの広州恒大所属。ポジションはセンターフォワード。単にジャクソン(Jackson)のみでも知られている。

【スタイル】
ピッチ上でダンスのような動きをすることからCha Cha Chaとアダ名を付けられている。コラムニストのティム・ヴィックリーは、両足を遜色なく使うことが出来る純粋な点取り屋と評している。


【ポルト時代】
2012-13
2012年7月7日に移籍金880万ユーロでFCポルトと4年契約を締結。違約金は4000万ユーロ(約39億円)に設定された。初公式戦となった8月11日のアカデミカ・コインブラとのスーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラで90分に初得点及び決勝点を挙げ、タイトルを獲得。また、同試合の最優秀選手に選出された。

8月25日のヴィトリア・ギマランイス戦(4-0)で80分にペナルティーキックによりリーグ戦初得点を記録。9月1日のSCオリャネンセ(英語版)戦(3-2)で2得点目、次のSCベイラ・マル戦(4-0)では同胞のハメス・ロドリゲスのパスからオーバーヘッドキックにより先制点にして自身3得点目を挙げた。第5節のリオ・アヴェFC戦(アウェイ2-2)では、1点を追いかける中で89分に得点を挙げチームを救った。ライバルのスポルティング・リスボン戦(2-0)で見事なバックヒールボレーにより得点を記録。UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13 グループリーグのFCディナモ・キエフ戦(3-2)で同胞のハメス・ロドリゲスのパスから欧州カップ戦初得点を決め、さらにルチョ・ゴンサレスのクロスから2得点目となる決勝点を挙げて勝利に貢献。GDエストリル・プライア(英語版)戦(2-1)で1得点1アシストを記録。

加入して12試合で11得点と、近年クラブで活躍したリサンドロ・ロペス、フッキ、そして同胞のラダメル・ファルカオを抜く得点率を記録し、その活躍からディアリオ・デ・ノティシアス紙のジョアン・ルエラ記者から"Jackshow Martínez"と愛称を付けられた。CSマリティモ戦(2-0)での2得点活躍から、同日のポルトガル全紙のスポーツ関連の見出しを飾った。これらの素晴らしい活躍から10月と11月の2ヶ月連続でリーグの月間最優秀選手に選出されやことから、12月にはリヴァプール、チェルシーFC、FCバルセロナといった強豪から関心を寄せられた。

チャンピオンズリーグのグループリーグ最終節パリ・サンジェルマンFC戦で得点を挙げる。チームは1-2で敗北したものの、グループ2位により決勝トーナメント進出が決定。モレイレンセFC(英語版)戦(1-0)でハメス・ロドリゲスからのパスから得点を挙げた。

後半戦初戦のCDナシオナル戦(1-0)で頭により得点、SLベンフィカとのオ・クラシコ(2-2)でも引き続き得点した。ヴィトリア・セトゥーバル戦でPKを含む2得点、次のジル・ヴィセンテFC(5-0)戦で90分に得点、ヴィトリア・ギマランイス戦で2度の頭による得点を含めたハットトリックを達成。これで17試合18得点とし、オリャネンセ戦(1-1)で連続得点記録を更新、次のベイラ・マル戦でも得点、リオ・アヴェ戦ではPKとハメス・ロドリゲスのクロスからのボレーで2得点を挙げる活躍から2013年2月度の月間最優秀選手に選出された。

タッサ・ダ・リーガ初出場となった準決勝のリオ・アヴェ戦(4-0)で快勝するも無得点に終わってしまったが、すぐさまモレイレンセとのリーグ戦で2得点を挙げている。リーグ最終節のFCパソス・デ・フェレイラ戦(2-0)でも得点を挙げた。加入1季目、そして欧州初上陸ながらも、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラとスーペル・リーガ優勝を経験したのみならず、個人として30試合26得点により得点王に輝く等、ジャクソンにとって非常に成功したシーズンだった。また、ESPNは2012-13シーズンの欧州で最高の契約の1つにジャクソンの名前を挙げた。
2013-14
エスダディオ・ムニシパル・デ・アヴェイロ(en)でのヴィトリア・ギマランイスとのスーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ(3-0)で得点を挙げて再度優勝に貢献。

ヴィトリア・セトゥーバルとの開幕戦(3-1)で得点、1週間後のマリティモ戦で再度得点、9月1日のパソス・フェレイラ戦(アウェイ1-0)で決勝点を記録。次のジル・ヴィセンテ戦で再度得点、9月22日のエストリル戦(2-2)でルチョ・ゴンサレスのパスにより得点、FCアロウカ(英語版)戦で2得点を挙げた。

2013-2014シーズンのポルトはリーガで3位に終わったが、ジャクソン自身はリーガ最終節のSLベンフィカとの対戦でPKから決勝点を挙げ最終的にリーガでの得点数を20の大台に乗せ、2シーズン連続の得点王となった。


【アトレティコ・マドリード】
2014-15シーズン終了後、ACミランがジャクソンの獲得に動いたが、ユヴェントスに移籍したマリオ・マンジュキッチの代役としてアトレティコ・マドリードが獲得を決めた。2015年7月、ポルトはジャクソンのアトレティコ・マドリード移籍を発表。移籍金は3500万ユーロ。しかし、アトレティコでは15試合で2得点と本領を発揮できなかった。

【広州恒大淘宝足球倶楽部】
2016年2月、中国スーパーリーグの広州恒大に4年契約で移籍決定。移籍金は4200万ユーロ。

【代表歴】
2009年8月26日にエドゥアルド・ララ(en)監督の下で2010 FIFAワールドカップ・南米予選のエクアドル戦とウルグアイ戦に向けてコロンビア代表に初招集され、エクアドル戦(2-0)で後半から初出場を飾ると、81分にジョヴァンニ・モレノのパスにより初得点を挙げた。続くウルグアイ戦(1-3)でも得点を記録した。
2011年6月7日にエルナン・ダリオ・ゴメス(en)監督の下でコパ・アメリカ2011の一員に選出された。
2014年6月2日、2014 FIFAワールドカップ本戦に向けた最終メンバーに選出された。 グループリーグ第一戦のギリシャ戦で後半31分から途中出場。第二戦のコートジボワール戦では出場機会が無かったが、第三戦の日本戦で先発出場すると2得点を挙げ勝利に貢献した。

【動画】















総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
posted by よしき at 00:00| Comment(0) | コロンビア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

フレディ・グアリン(Fredy Alejandro Guarín Vásquez)〜元祖ロケット砲〜※FIFA21 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はフレディ・グアリン選手です。

コロンビア・プエルト・ボヤカ出身のサッカー選手。中国サッカー・スーパーリーグ・上海申花所属。ポジションはミッドフィールダー。

クラブ[編集]
・キャリア初期
2004年にコロンビアのエンビガドFCでプロデビューし、2005年にアルゼンチンのボカ・ジュニアーズにレンタル移籍。翌2006年8月にはフランスのASサンテティエンヌにレンタル移籍した。

・ポルト
2008年7月10日、ポルトガルのFCポルトに完全移籍で加入。2010-11シーズンにはアンドレ・ビラス・ボアス監督の下でスーペル・リーガ、UEFAヨーロッパリーグ、タッサ・デ・ポルトガルの三冠制覇に貢献。SCブラガを相手にしたヨーロッパリーグ決勝ではラダメル・ファルカオの決勝点につながるクロスを上げた。

・インテル
2012年1月、セリエAのインテルに買い取りオプション付きのレンタル移籍で加入。怪我のためデビューは4月1日のジェノア戦まで遅れたが。リーグ戦終盤の6試合に出場。シーズン終了後インテルはオプションを行使し、ポルトに移籍金1100万ユーロ(約11億2000万円)を支払った。インテルとグアリンの契約は2016年までの4年間で、年俸は210万ユーロ(約2億1000万円)。
2012年8月30日のヨーロッパリーグ(EL)、FCヴァスルイ戦でインテル移籍後初ゴール。2012年10月31日サンプドリア戦でリーグ戦初ゴール、10月4日のELネフチ・バクー戦ではチームが挙げた3ゴールをすべてアシストする活躍で勝利に貢献した。
2013-14シーズン、背番号を14番から13番に変更。2014年1月にはマンチェスター・ユナイテッドFCやチェルシーFC、ユヴェントスFCへの移籍が浮上。特にポルト時代にも獲得に関心を示していたユヴェントスはミルコ・ヴチニッチとのトレードで交渉成立がほぼ確定だったものの、インテルファンからの反発を恐れたインテル会長エリック・トヒルが移籍交渉の中断を指示したため白紙に戻った。

・上海申花
2016年1月27日、中国サッカー・スーパーリーグの上海申花へ移籍することが発表された。

代表歴
2006年5月24日、エクアドル代表戦でコロンビア代表デビュー。2005 CONCACAFゴールドカップ、コパ・アメリカ2011、および2014 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれた。

【スタイル】
複数のシステムに対応できる万能なミッドフィールダーで、得点力にも富む。
ミドルシュートも得意とし、グアリン砲とも呼ばれている。

【動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 23:00| コロンビア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フアン・スニガ(Juan Camilo Zúñiga Mosquera)〜ネイマールクラッシャー泣く〜※FIFA21 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はスニガ選手です。

コロンビア・チゴロド出身のサッカー選手。コロンビア代表。ポジションはサイドバックおよびサイドハーフ。

【代表】
2005年3月9日にアメリカとの親善試合(0-3)でフル代表デビューワールドカップ予選では、息子の誕生により離脱が認められたベネズエラ戦[17]や負傷していたペルー戦を除く大半の試合で先発出場し、チームの主力として2位で4大会ぶりのFIFAワールドカップとなる2014 FIFAワールドカップ出場権獲得に貢献した。また、2012年9月7日に同予選のウルグアイ戦(4-0)で代表初得点を挙げた。




【2014 ワールドカップ】
2014 FIFAワールドカップ本大会の代表メンバーにも選ばれ、準々決勝のブラジル戦にDFとして出場したが、1点差で敗戦濃厚の後半43分にネイマールに背後から膝蹴りのようにぶつかった。結果としてネイマールは腰椎を骨折し、残り試合への出場が不可能となった。ブラジルの一部のサッカーファンに暗殺を計画されるほどの怒りを買ったが、FIFAはスニガには処分を科さなかった。大会後にはネイマールからのアイス・バケツ・チャレンジの指名に応じて和解をアピールし、ワールドカップ後最初の試合となったブラジルとの親善試合ではコロンビアのキャプテンとして、ブラジルのキャプテンとなったネイマールと抱擁を交わした。
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【ナポリ】
2009年8月23日にUSチッタ・ディ・パレルモとの開幕戦でヘスス・ダトロに代わり初出場を飾ったスニガは、ロベルト・ドナドーニ監督の3-5-2やワルテル・マッツァーリ監督が施行する3-4-2-1のフォーメーションで右ウィングバックをクリスティアン・マッジョが務めていたことから主に左サイドを主戦場とし、加入1季目は22試合(先発15)に出場した。

2季目はマッジョと2010年1月に加入していたアンドレア・ドッセーナの両サイドの控えとして、1季目と同程度の出場機会だったものの、2011年2月20日のカルチョ・カターニア戦(1-0)で初得点にして決勝点を挙げ、5月15日のインテルナツィオナーレ・ミラノ戦(1-1)で46分に移籍後2得点目を挙げた。この引き分けに持ち込んだ得点によりチームの3位が確定し、21季ぶりのUEFAチャンピオンズリーグとなるUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12出場権を獲得した。

2011年9月14日のマンチェスター・シティFC戦(1-1)を先発でチャンピオンズリーグ初出場を飾る。一方リーグ戦では2011-12シーズンの開幕含めた2試合こそ控えだったものの、同シーズンから徐々に左サイドのドッセーナを控えに追いやる場面も増え、定期的に起用されるようになり、2012年5月20日にスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマで行われたユヴェントスFCとのコッパ・イタリア戦に先発出場し優勝に貢献した。
2012-13シーズンから左ウィングバックの座を完全に射止めると、翌シーズンの2013年9月28日のジェノア戦で初めて主将を務め、10月1日には契約を2018年6月までの4年延長を勝ち取る等充実した時を過ごしていた。しかし、8年前の手術によって生じた問題から10月21日に右膝の手術を受けることが発表され、23日に復帰まで6〜8週間かかり、2014年に持ち越されることが報じられた。



総合評価
攻撃力【6】
守備力【8】
センス【6】
posted by よしき at 18:00| コロンビア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

アドリアン・ラモス(Gustavo Adrián Ramos Vásquez)〜コロンビアの野人〜


こんにちわ

本日紹介する選手はアドリアン・ラモス選手です。

コロンビア・サンタンデル・デ・キリチャオ出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・ボルシア・ドルトムント所属。コロンビア代表。ポジションはフォワード。

アメリカ・カリ
2004年にアメリカ・カリからデビューし、2005年にはベネズエラのトルハリャノスFCに、2006年にはインデペンディエンテ・サンタフェにレンタル移籍した。サンタフェでは失望の成績しか残せなかったが、2007年にアメリカ・カリに復帰すると、2008年シーズンは素晴らしいシーズンを送り、優勝プレーオフでインデペンディエンテ・メデジンを破って優勝した。プレーオフのセカンドレグでは先制点を挙げ、シーズン通算では11得点を挙げて得点ランキング3位タイとなった。2009年シーズンのトルネオ・アペルトゥーラ(前期リーグ)では9得点を挙げた。

ヘルタ・ベルリン
2009年夏、ドイツ・ブンデスリーガ(1部)のヘルタ・ベルリンに移籍した。移籍当初は控え扱いであったが、実力でレギュラーポジションを勝ち取り[2]、2009年11月のVfBシュトゥットガルト戦(1-1)で初得点を挙げた。12月のバイエル・レバークーゼン戦(2-2)では2得点を挙げ、2010年3月のVfLヴォルフスブルク戦ではコンビを組むテオファニス・ゲカスと合わせて大量5得点(ラモス2点、ゲカス3点)を記録した。最終節のバイエルン・ミュンヘン戦でも得点し、得点数を二桁に乗せたが、クラブは最下位でツヴァイテリーガ(2部)降格となった。2010-11シーズンはツヴァイテリーガでチームトップの15得点を挙げ、リーグ最高得点で優勝してのブンデスリーガ昇格を果たした。

ボルシア・ドルトムント
2014年4月9日、バイエルン・ミュンヘンに移籍するロベルト・レヴァンドフスキの後釜として、2014-15シーズンからボルシア・ドルトムントに4年契約で移籍することが発表された。




代表
2003年にはU-17コロンビア代表としてFIFA U-17ワールドカップに出場し、3得点を挙げてコロンビアの準決勝進出に貢献した。2008年8月20日、アメリカのニュージャージー州で行われたエクアドルとの親善試合でコロンビア代表デビューした。2009年10月14日、2010 FIFAワールドカップ・南米予選最終節のパラグアイ戦(2-0)で初得点を挙げたが、コロンビアは5位のウルグアイ(大陸間プレーオフを勝ち抜いて本大会出場)と勝ち点1差の7位に終わり、本大会出場はならなかった。2011年にはコパ・アメリカ2011のメンバーに選出され、グループリーグ初戦のコスタリカ戦(1-0)で決勝点を挙げた。ラモスは残り2戦も先発出場し、開催国のアルゼンチンを抑えての首位での決勝トーナメント進出に貢献した。準々決勝のペルー戦(0-2)にも先発出場したが、延長戦の末に敗れてベスト8に終わった。

【動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】
posted by よしき at 21:39| Comment(0) | コロンビア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする