2016年02月06日

エディン・ジェコ(Edin Džeko)〜ボスニアの最多得点記録保持者〜※FIFA21 使用感

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こんにちわ

本日紹介する選手はジェコ選手です。

ボスニア・ヘルツェゴビナサラエヴォ県サラエヴォ出身のサッカー選手。民族はボシュニャク人(ムスリム人)。イタリア・セリエA・ASローマ所属。
2つのリーグで計3度の優勝を経験し、ブンデスリーガでは得点王に輝いている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の最多得点記録保持者でもあり、2014年9月からは代表の主将を務める。ゼコとも表記される。ポジションはフォワード。

●地元クラブ、チェコ時代

父親のミドハト・ジェコもプロサッカー選手であった。ボスニア紛争の時は一家で団地に避難し、音を立てられない地下室生活を強いられながら砲弾が止む僅かな時間にサッカーを楽しんでいた。5歳のときにFKジェリェズニチャルの下部組織に入団し、2003-04シーズンにトップチームに昇格した。2005年にチェコ・リーグのFKテプリツェに移籍金2万5000ユーロで完全移籍し、ジェリェズニチャル時代に指導を受けたチェコ人監督イジー・プリーシェクが率いるFKウースティー・ナド・ラベムにすぐさまレンタル移籍した[3]。そこで15試合6得点と結果を残し、半年後にはFKテプリツェに復帰し、13得点を挙げて得点ランキング2位に入った。
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【VfLヴォルフスブルク】※長谷部ともチームメイトに
2007年6月26日、フェリックス・マガトが監督を務めるドイツのVfLヴォルフスブルクに400万ユーロ(約5億円)の移籍金で移籍した。2007-08シーズンは28試合出場で8得点と、まずまずの成績を残した。
2008-09シーズンはDFBポカールのFCオーバーノイラント戦でハットトリックを達成したが、リーグ戦では前半戦5得点にとどまった。しかし後半戦に大爆発し、最終的に26得点を決めて得点ランキング2位にはいった。2人合計54得点を叩き出したグラフィッチとのコンビはリーグ最強と謳われ、クラブ史上初のリーグ優勝に貢献した。この活躍から2009年夏の移籍市場ではイタリアのACミランが獲得に乗り出し、ジェコも移籍を希望したが、クラブはジェコの放出を拒否し、結局2013年まで契約を延長した。ジェコは幼いころからのミランのファンであり、サラエヴォの彼の部屋には、お気に入りの選手であるアンドリー・シェフチェンコの背番号7のユニフォームが飾られていたという。チームに残留した2009-10シーズンはチームとしては苦戦をしいられ連覇を逃すも、ジェコは22得点を決めブンデスリーガ得点王を獲得した。2009年末にはバロンドール候補30人にノミネートされた。2010-11シーズンは移籍を希望していたもののチームに残留し、キャプテンを任される。クラブは低迷したが、ジェコは前半戦だけで10得点を挙げた。




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【マンチェスター・シティ】
2011年1月7日、イングランドのマンチェスター・シティFCに移籍した。ヴォルフスブルクには移籍金3500万ユーロが支払われたが、これはプレミアリーグのクラブが支払った金額としては史上6番目であり、ブンデスリーガ所属選手に支払われた金額としては過去最高額となった。背番号は10。 2011-12シーズンのプレミアリーグ最終節、クイーンズ・パーク・レンジャーズ戦では途中出場で後半ロスタイムに同点のヘディングシュートを決め、奇跡へとつなげた。
2012-13シーズンは、セルヒオ・アグエロの負傷が目立つ中、チーム得点王となる14ゴールを記録した。
2013-14シーズンは前年度を上回る16ゴールを挙げ、出場時間あたりの得点率では同僚のセルヒオ・アグエロ、ルイス・スアレス、ダニエル・スターリッジに次ぐ4位(5位はロビン・ファン・ペルシー)となり、2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。 マンチェスターシティでは大事な所で決める印象的なゴールが多く、このシーズンもシーズン終盤のクリスタル・パレス戦やエヴァートン戦、アストン・ビラ戦の決勝ゴールをあげるなど、記憶に残るゴールが多い。
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【ASローマ】
2015年8月、セリエAのASローマへのレンタル移籍が決定。背番号は9番。
開幕戦のエラス・ヴェローナ戦でセリエAデビュー。2015年8月30日の第2節、ユヴェントス戦で移籍後初得点を挙げ、チームのシーズン初勝利に貢献した。

【代表での活躍】
2007年6月2日、 トルコ戦でボスニア・ヘルツェゴビナ代表デビュー、その試合で初得点を記録した。
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、第2節から第6節まで5節連続で得点し、2008年9月10日のエストニア戦、2009年4月1日のベルギー戦で2得点を挙げるなど、予選を通して10得点を決める活躍を見せた。スペインに次ぐ2位に入ってプレーオフに進出したが、プレーオフでポルトガルに敗れて2010 FIFAワールドカップ本大会出場はならなかった。
2012年9月7日の2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のリヒテンシュタイン戦で代表では初となるハットトリックを達成するなど、初のW杯出場に大きく貢献した。
2014 FIFAワールドカップを戦う代表23人に選出された。 グループリーグ2戦目のナイジェリア戦では、先制ゴールを奪ったかに見えたが判定はオフサイド。しかしこれは明らかな誤審であり、 試合後ジェコは「僕らは家に帰る。だから悲しいよ。でも、この主審も家に帰るべきだ。彼は結果を変えた。彼が試合を変えた。だから僕らは負けた。先制されてから反撃しようとしたね。でも、キャプテン(エミル・スパヒッチ)にファウルが遭ったのは明らかだった。僕のゴールもオフサイドじゃなかったよ。僕らは最後まで戦った。でも、今日は運がなかったんだ」と語った。
今日は僕らが試合に勝つべきだった。ナイジェリアも良いプレーをしたし、チャンスを作ったけどね。だけど、主審は恥ずべきだった」と審判を批判した。この試合の敗戦でグループリーグ敗退が決まってしまったボスニア・ヘルツェゴビナだったが、3戦目のイラン戦では、先制ゴールとなるミドルシュートで自身ワールドカップ初ゴールを決め、悲願の初勝利を記録して大会を去って行った。

【名将モウリーニョも評価】
プレミアリーグでマンチェスター・シティFCのライバルクラブ、チェルシーFCのジョゼ・モウリーニョは、ジェコについて「私が選ぶ年間最優秀選手は、ジェコだね。彼はただのゴールゲッターではない。アシストし、プレーする。振る舞いもそうだし、彼はフェアだ。ダイブをしない。相手へのカードを出させようとはしない。そして、シーズンの大事な時期にチームが必要としたときに、彼は違いをつくったと思う。」と語り、ポストプレーヤーとしての資質とジェコの人間性を評価した。
従兄弟にボスニア・ヘルツェゴビナ代表の主将であったエミル・スパヒッチがいる。

【動画】




総合評価
攻撃力【6】
守備力【6】
センス【7】
posted by よしき at 18:00| Comment(0) | ボスニア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする