2018年07月09日

トニ・クロース(Toni Kroos) 〜Mr.ドラマスティック天才キッカー〜

こんにちわ



本日紹介する選手はトニ・クロース選手です。

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【華麗なるクラブ経歴】
※バイエルン
ブンデスリーガデビューとなった2007年9月26日のエネルギー・コットブス戦では、わずか18分間の出場で2アシストを記録する衝撃のデビューとなった。更にUEFAカップデビューとなったアウェイのレッドスター・ベオグラード戦では1点リードされた状況の81分に登場し、1ゴール1アシストの活躍で勝利に導いた。

※レバークーゼン
しかし、バイエルンのレギュラー陣に割って入るには至らず、より出場機会を得るために2009年1月より2010年6月までのレンタル移籍でバイエル・レバークーゼンに加入した。2009年4月18日のVfLヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初得点を記録。シーズン終了後にはバイエルンと2010年まで契約を延長し、またレヴァークーゼンへのレンタルも2010年7月までに延長された。2009-10シーズンは開幕から主力としてプレーし、シュテファン・キースリングとともにゴールを量産し、レヴァークーゼンの首位ターンに貢献した。そのシーズンは、キッカーによるブンデスリーガのシーズンベストイレブンに選出された。

※バイエルン復帰
バイエルン復帰後、期待通りの成績を残せなかったが、レヴァークーゼン時代の監督だったユップ・ハインケスがバイエルンの監督に就任するとその才能が一気に開花。バイエルンの中盤に欠かせない存在にまで成長した。2012-13シーズンは史上最速28節終了時点でのリーグ優勝を達成。一方で、バイエルンとの契約延長交渉が給与面などで難航、クラブやジョゼップ・グアルディオラ監督との関係が悪化していった[3]。

※レアル・マドリード
2014年7月17日、6年契約でレアル・マドリードへの移籍が決定。背番号は8番。公式戦初出場となったUEFAスーパーカップのセビージャFC戦では、両チーム通じてトップとなるパス成功率96%を記録した。入れ替わるようにバイエルンへ移籍したシャビ・アロンソと同じ中盤の底のポジションでレギュラーに定着し、11月9日の第11節ラージョ・バジェカーノ戦で、移籍後初ゴールを含む1得点2アシストの活躍をした。移籍初年度は、リーガ・エスパニョーラ所属クラブの選手で唯一シーズン総パス成功数が3000本を超えており、シーズンを通して92%のパスを成功させた。

2015-16シーズン、レギュラーとしてチャンピオンズリーグ優勝に貢献、二つのクラブで優勝を経験した初のドイツ人プレーヤーとなった[8]。2016年1月3日、バレンシアCF戦でパス成功率100%を記録した。

2016年10月12日、レアル・マドリードと2022年までの新契約を結んだことが発表された。


【注目の動画】


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総合評価
攻撃力【7】
守備力【5】
センス【6】


posted by よしき at 23:10| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月27日

アダム・ララーナ(Adam David Lallana)〜スピーディな英国紳士〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はアダム・ララーナ選手です。

イギリス (イングランド)・セント・オールバンズ出身のサッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。イングランド代表。ポジションはミッドフィールダー。

【経歴】
セント・オールバンズ生まれで、5歳のときにボーンマスに移り、2000年、12歳でサウサンプトンのアカデミーに加入した。
2004-05シーズンは、セオ・ウォルコット、ガレス・ベイル、レオン・ベスト、ネイサン・ダイアーらと共にFAユースカップ準優勝に貢献し、U-17イングランド代表招集のためのメディカルチェックを受けたが、そこで不整脈が発見され、手術をした。
2006年8月23日、リーグカップのヨーヴィル・タウンFC戦でトップチームデビューした。
2008年4月28日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦でプロ初ゴール。このゴールはチームのチャンピオンシップ(2部)残留への希望をつなぐ先制点であった結局、この試合は1-1の引き分けであった。
2008-09シーズンはレギュラーとなってリーグ戦40試合に出場し、翌2009-10シーズンは合計20ゴールを挙げ、チームの中心選手となった。
いくつかのプレミアリーグのチームが関心を持つ中、2011年1月、サウサンプトンFCと4年半の新たな契約を結んだ。2010-11シーズンは、リーグ戦8ゴールを挙げて、リーグ1のPFA年間ベストイレブンに選出された。




2011-12シーズンは、開幕戦のリーズ・ユナイテッドAFC相手に、3-1の勝利に貢献するゴールを決めたのを皮切りに、リーグ戦11ゴール、全大会含めて13ゴールを挙げてチームのプレミアリーグ昇格に貢献し、チャンピオンシップのPFA年間ベストイレブンに選出された。

2014年7月1日、リヴァプールFCへの移籍が決定した。背番号は『20』に決定。また、移籍金2500万ポンド(約43億2000万円)とも言われる高額な移籍金だと報道した。リヴァプールのロジャーズ監督は「プレミアリーグで最高峰の才能を持つララーナと契約できて本当に嬉しいよ。彼は特別な若者で、成長することに飢えている。戦術理解度も高く、リーダーシップも持っている。彼なら、リヴァプールというクラブが持つ文化に完璧にフィットすると確信している」 と加入時は語った。
2015年1月1日に行われたプレミアリーグ第20節のレスター・シティ戦で、ふくらはぎを負傷し55分に交代した。負傷で最大1カ月の離脱を強いられた。2014-15シーズンはリヴァプール加入初年度でララーナ自身怪我もあって、チームは無冠で悔しいシーズンになった。
【動画】

総合評価
攻撃力【7】
守備力【5】
センス【8】
posted by よしき at 00:00| Comment(0) | イングランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

ケレチ・イヘアナチョ(Kelechi Promise Iheanacho)〜ナイジェリアの超新星〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はイヘアナチョ選手です。

ナイジェリア・イモ州出身のプロサッカー選手。プレミアリーグ・マンチェスター・シティFC所属。ポジションはフォワード。

【マンチェスター・シティ】
2014年にマンチェスター・シティFCへ加入すると、開幕前に行われたプレシーズンマッチ「インターナショナル・チャンピオンズカップ」では、ACミランを相手に得点を挙げるなど、実力を証明した。マンチェスター・シティFCを率いるマヌエル・ペレグリーニ監督もイヘアナチョを高く評価しているが、労働許可の問題や負傷などによりデビューが遅れていた。

【19才でハットトリック達成】
2015–16シーズン第5節のクリスタル・パレスFC戦で、公式戦初ゴールをあげる。 FAカップ四回戦のアストン・ヴィラ戦では、先発で出場すると、PKでの得点を含めたハットトリックを達成。チームの4-0での勝利に貢献した。

【代表】
2013年にアラブ首長国連邦で行われたU−17ワールドカップでナイジェリアを優勝に導き、自身も最優秀選手賞に輝いたという実績を持つ。 2015年11月13日のワールドカップアフリカ予選のスワジランド戦で、フル代表デビューを果たす。

【動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【4】
センス【8】
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2017年10月21日

レナト・サンチェス(Renato Júnior Luz Sanches)〜年齢詐称疑惑が出るほどブレイク!?〜ポルトガルの超新星

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こんにちわ

本日紹介する選手はレナト・サンチェス選手です。

ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属。ポルトガル代表。ポジションはMF。「レナト・サンシェズ」と表記されることもある。父親はサントメ・プリンシペ人、母親はカーボベルデ人。

クラブ経歴
2006年に当時9歳で地元・リスボンに本拠地を置くSLベンフィカの下部組織に入団。2014年からBチームのベンフィカBでプレーしていたが、2015-16シーズンにトップチームの監督であるルイ・ヴィトーリアに見初められトップチームの練習に参加。2015年10月30日に行われたプリメイラ・リーガ第9節のトンデラ戦でトップチームデビューを果たした。
UEFAチャンピオンズリーグでの活躍から複数のクラブへの移籍が報じられていたが、2016年5月10日、バイエルン・ミュンヘンへの移籍が発表された。契約期間は2021年までで移籍金は3500万ユーロ(43億円)[2]。この移籍金とは[3]最低3500万ユーロと伝えられ、FIFA(国際サッカー連盟)の年間最優秀選手受賞や代表入りなどのパフォーマンス次第で、さらに最大4500万ユーロが支払われることになる。またレナトはバイエルン・ミュンヘン史上初のポルトガル人選手となる。

代表歴

2016年3月26日に行われたブルガリアとの親善試合に74分から出場し、A代表デビューを果たした。

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UEFA EURO 2016のポルトガル代表にチーム最年少で選出されると、決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦では途中出場ながら決勝点の起点になるなどポルトガルの勝利に貢献し、マン・オブ・ザ・マッチに選出された。続く準々決勝のポーランド戦では大会で初めて先発起用されると、代表初得点となる同点ゴールを挙げPK戦でも2番手のキッカーとして成功させる活躍で、2試合続けてマン・オブ・ザ・マッチに選出された。
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エピソード
★UEFA EURO 2016では18歳ながら堂々としてプレーしていることから話題となった。


【ユーロ2016】

グループリーグ3分け。決勝トーナメント1回戦(クロアチア戦)も90分間の戦いに限れば0−0。そしてこの準々決勝は延長PK戦だ。90分の試合では、ポルトガルは5試合連続引き分け。1勝もしていないのにベスト4に進出した。前代未聞の珍事と言える。
 要するに4試合連続大苦戦。そしてこの試合でも、ポーランドに先制点を奪われた。しかも開始2分に、である。左からカミル・グロシツキにグラウンダーで折り返され、ロベルト・レバンドフスキにインサイドできれいに決められた。
 ただ、プロセスにはちょっとした不運もあった。右サイドからポーランドのウカシュ・ピシュチェクが蹴ったサイドチェンジのボールは、ポルトガル右SBセドリック・ソアレスの前で大きくバウンド。頭上を越えてアシスト役となったグロシツキの足もとに収まったのだった。
 ポルトガルは立ち上がりから、これまでのパターンを想起させる展開に陥った。ただし、この日のポルトガルには、従来と異なる点もあった。
 決勝トーナメント1回戦、クロアチア戦の原稿でも触れた18歳のレナト・サンチェスが、スタメンから登場したことだ。これまで、2戦目のアイスランド戦を除く3試合に出場。徐々に存在感を発揮し、クロアチア戦では決勝ゴールに繋がる単独ドリブルを披露するなど、株を大幅に上げていた。




【注目の動画】


総合評価
攻撃力【9】
守備力【6】
センス【7】
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デニス・ロンメダール(Dennis Rommedahl)〜フットボール界最速・陸上選手並みのスピード〜



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こんにちわ

本日紹介する選手はデニス・ロンメダール選手です。

デンマーク・コペンハーゲン出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはFW。

特徴
陸上選手並みのスピードを持ち、高速ドリブルでサイドを突破して高精度なクロスを供給するウイング。

クラブ
コペンハーゲンのビスペビャー地区に生まれ、B.93やリンビーFCなどのユースチームに所属した。1995年、デンマーク・スーペルリーガに属するリンビーFCでプロデビューした。1997年、エールディヴィジのPSVアイントホーフェンに移籍し、3月22日のSCヘーレンフェーン戦でデビューした。1997-98シーズンはRKCヴァールヴァイクにレンタル移籍し、1998-99シーズンは高速ドリブルで相手DFを振り切っての正確なクロスでチームに貢献した。PSVアイントホーフェンでは4回のリーグ優勝、4回の国内カップ優勝を果たした。
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2004年夏、トッテナム・ホットスパーFCとの獲得競争に勝ったイングランドのチャールトン・アスレティックFCと4年契約を交わした。2004-05シーズンは怪我などのためにベンチに座る機会が多かったが、2005-06シーズンは成功を収めた。他クラブからの引き抜きの噂が多く、2006年夏にはFCゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍しかけ、冬には100万ポンドの移籍金でFCコペンハーゲンが彼に接触し、2007年夏にはガラタサライSKとヘタフェCFが彼に興味を示した。
2007年7月20日、68万ポンドの移籍金でアヤックス・アムステルダムに移籍した。加入してまもなく、古巣PSVアイントホーフェンに勝利して自身5度目となるヨハン・クライフ・スハールのタイトルを獲得した。同年にはデンマーク最優秀選手賞の最終候補5人にノミネートされた。2008-09シーズン後半はNECナイメヘンにレンタル移籍した。
2010年7月14日、ギリシャのオリンピアコスFCに2年契約で完全移籍した。しかし、シーズン終了後にオリンピアコスを退団。2011年8月30日にブレンビーIFに入団し、14年ぶりに母国復帰を果たした。


代表
1996年、U-19デンマーク代表に選出された。U-19デンマーク代表とU-21デンマーク代表では計19試合に出場して5得点を決めた。
2000年、デンマーク代表監督に就任したばかりのモアテン・オルセンからA代表初招集を受けた。初キャップから38試合連続で代表の試合に出場し、32試合目まではすべて先発出場だった。2002年には日韓ワールドカップの4試合に出場し、フランス戦で得点して世界チャンピオンに勝利した。2004年2月19日のトルコとの親善試合で連続出場記録は止まったが、UEFA EURO 2004の4試合にはすべて出場した。南アフリカワールドカップにも出場し、第2戦のカメルーン戦では決勝ゴールを挙げた。決勝トーナメント進出をかけた日本戦では長友佑都にマークされ活躍できず、デンマークも敗退した。ワールドカップ後最初の試合となったドイツとの親善試合で代表通算100試合出場を達成。この試合では自ら得点も挙げた。
2014年10月9日、代表引退を表明した。
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デンマーク年間最優秀選手 2007, 2010

【注目の動画】





総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
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ロベルト・フート(De|Robert Huth)〜レスターの絶壁〜

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こんにちわ

本日紹介する選手はフート選手です。

東ドイツ(現ドイツ)・ベルリン出身のサッカー選手。元ドイツ代表。プレミアリーグのレスター・シティFC所属。ポジションはセンターバック及びサイドバック。

【経歴】
2001年にドイツの1.FCウニオン・ベルリンの下部組織からクラウディオ・ラニエリ監督率いるイングランド1部のチェルシーFCへ入団したフートは、その後トップチームに昇格を果たすも、ジョン・テリー、ウィリアム・ギャラス、リカルド・カルヴァーリョの存在からスタンフォード・ブリッジでの序列は低く、なかなか定着出来ずにいたため2006年8月に移籍金600万ポンドで同国1部のミドルズブラFCと契約した。リヴァーサイド・スタジアムで3季過ごし、2009年にミドルズブラが2部降格すると、同年8月に移籍金500万ポンドで同国1部のストーク・シティFCと契約。2009-10シーズンにはチームのFAカップ決勝進出に貢献する活躍等を見せ、シーズン終了後にチームの年間最優秀選手に選出された。

【代表】
世代別代表としては2003 FIFAワールドユース選手権に出場。
2004年8月に負傷辞退したイェンス・ノヴォトニーとアルネ・フリードリヒの代役としてユルゲン・クリンスマン新監督の下でドイツA代表に初招集され、自身20歳の誕生日となる18日のオーストリア戦(3-1)で途中出場から初出場を飾った。出場2試合目となった9月9日のブラジル戦(1-1)で初先発出場をすると、1得点こそ許したものの全体的に見ればロナウド、ロナウジーニョ、アドリアーノといった強力なFW陣を相手に堂々とした素晴らしいパフォーマンスを見せたことで試合後にクリンスマン監督のみならず相手のカルロス・アルベルト・パレイラ監督から称賛された。その後、FIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場したフートは、開幕戦のオーストラリア戦(4-3)こそ失点に関わるプレーを見せた[67]ものの、コンビを組むペア・メルテザッカーと共に素晴らしいパフォーマンスを見せファンの支持を得た[3]。そんな中、準決勝のブラジル戦(2-3)では、前回対戦時に抑えたはずのアドリアーノのスピードについていけずペナルティーエリア内で倒してPKを与えると、さらに試合終盤にもアドリアーノに振り切られ得点を許してしまった[68]。同大会では、6月29日にメキシコとの3位決定戦(4-3)で代表初得点を記録した。




2006年3月にフィレンツェでのイタリアとの親善試合(1-4)で2得点目を記録し、同年5月の時点で17試合2得点[3]と代表に定着こそしたものの、守備面の不安からクリストフ・メッツェルダーにポジションを譲り、2006 FIFAワールドカップではメルテザッカーとメッツェルダーのコンビが選択され、フートはグループリーグ最終節のエクアドル戦の1試合に先発出場したのみだった。
2006年のワールドカップ終了後は代表から遠ざかっていたものの、クラブでの活躍から2008年3月20日にスイスとの親善試合にヨアヒム・レーヴ監督によって招集された。しかし、2009年のUAE戦を最後に招集されておらず[1]、クラブでの活躍から代表復帰が取りざたされるも、2011年にレーヴ監督はUEFA EURO 2012予選のオーストリア戦を前にしてマッツ・フメルス、ベネディクト・ヘーヴェデス、ホルガー・バトシュトゥバーといった若手の存在、さらにメルテザッカーとアルネ・フリードリヒの名前を挙げ、フートの活躍を称賛しながらも自身の構想に入ってないことを明言したことから19試合2得点を記録するにとどまっている。

【動画】

総合評価
攻撃力【4】
守備力【8】
センス【5】
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バカリ・コネ(Bakari Koné)〜アフリカの小巨人〜

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こんにちは

本日の紹介選手はバカリ・コネ選手です。


コートジボワール出身、同国代表のサッカー選手。アラビアン・ガルフ・リーグ・アジュマーン・クラブ所属。ポジションはFW。実弟にサッカー選手のアルナ・コネ、カラモコ・コネがいる。


1994年に当時のコートジボワールのアビジャンでスカウトを受け、ASECミモザのユースチームに入団。5年間を過ごし、1999年にトップチームデビューを飾る。2002年からはカタールのアル・イテハド(当時。現在の名称はアル・ガラファ)に移籍し、レギュラーとして1シーズンプレー。その後、2003-04シーズンからはフランスリーグ・ドゥのロリアンに移籍。これ以降は活躍の場をヨーロッパに移すこととなる。

ロリアンでは1シーズン目からレギュラーを獲得しいきなり10得点を挙げると、2シーズン目となった2004-05シーズンは25試合に出場し24ゴールを挙げる大活躍で、リーグ・アン昇格に大きく貢献。バカリ自身もリーグ・ドゥ得点王、リーグ・ドゥ最優秀選手を獲得する。この活躍からリール、ストラスブール、オセールなどから注目され、結局2005-06シーズンからはニースへ移籍。シーズン開幕戦のトロワ戦でいきなりリーグ・アンデビューを飾ると、移籍2試合目のトゥールーズ戦でリーグ・アン初ゴールを記録。レギュラーを勝ち取り、2007-08シーズンにはリーグ・アン移籍後初めての2ケタ得点で、リーグ6位の14ゴールを挙げる。リーグ・アンでも成功を収めたことから、攻撃陣強化を望む強豪・オリンピック・マルセイユが獲得に乗り出し、移籍金1000万ユーロで移籍。マルセイユでの最初のシーズンとなった2008-09シーズンもレギュラーを獲得。リーグ・アンに加えてチャンピオンズリーグやUEFAカップにも初出場ながら全試合に出場し、チャンピオンズリーグ・グループステージのPSV戦ではチャンピオンズリーグ初ゴールを決めた。これらの活躍や後述の代表での活躍もあり、2009年3月にヤヤ・トゥーレやディディエ・ドログバを抑えてコートジボワール年間最優秀選手を受賞した。
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代表では、2004年9月5日のワールドカップ予選・スーダン戦でコートジボワール代表デビューし、代表初ゴールも記録。以降は代表に定着し、2005年12月12日のルーマニアとの親善試合では弟・アルナとの兄弟アベックゴールも記録。アフリカネイションズカップ2006のメンバーにも選ばれると、準決勝のカメルーン戦では貴重な同点ゴールを挙げると、チームはPK戦の末に勝利。決勝進出に大きく貢献したが、決勝のエジプト戦では負傷してしまい、チームも準優勝に終わる。ワールドカップ・ドイツ大会のメンバーにも選ばれるが、コートジボワールはアルゼンチン、オランダ、セルビア・モンテネグロと同組の「死の組」に入ってしまう。しかしバカリは3試合すべてに出場し、オランダ戦ではミドルシュートを決めワールドカップ初得点を記録するなどコートジボワールの善戦に貢献した。続くアフリカネイションズカップ2008でもチームの中心として4試合に出場するが、5-1と大勝したギニア戦での1ゴールに終わり、チームも4位に終わる。

総合評価
【6】
【6】
【5】
posted by よしき at 00:00| Comment(0) | コートジボワール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パウリーニョ(Paulinho)〜評価急上昇中!本人はランパードを目標にしている〜※動画あり

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こんにちわ

本日紹介する選手はパウリーニョ(Paulinho)選手です。

ブラジル・サンパウロ州サンパウロ出身のサッカー選手。中国サッカー・スーパーリーグ・広州恒大所属。ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダー。




主に守備的ミッドフィルダーとしてプレーし、フィジカルと決定力を兼ね備えている。決定的なスルーパスの出し手としても、パスを受けてのゴールゲッターとしての能力も高い。多くのポジションをこなす事が出来るオールラウンダーで、トッテナムの元指揮官アンドレ・ビラス・ボアスはパウリーニョに、同じプレミアリーグのチェルシーで活躍したフランク・ランパードを感じると評価しており、本人もランパードを目標にしていると語っている。

2004年からポルトゲーザ・デスポルトスのユースチームに所属し、2006年にリトアニアのFCヴィリニュスでプロデビューを果たした。2007年にポーランドのŁKSウッチに移籍した。2008年にブラジルのアウダックス・サンパウロECに移籍。アウダックスではレギュラーとして2度のタイトル獲得に貢献し、2009年にCAブラガンチーノへ移籍。2010年にはコリンチャンスに移籍した。

コリンチャンスでは移籍直後からレギュラーに定着。2011年は35試合に出場し8得点を挙げ、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA優勝に貢献。自身もボーラ・ジ・プラッタやプレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロンにおいてベストイレブンに選出された。2012年夏にはイタリア・セリエAのインテルから巨額のオファーがあったものの、コパ・リベルタドーレスを優先して残留し、コリンチャンスのコパ・リベルタドーレス初優勝に貢献した。2012年8月25日にはコリンチャンスが新たにパウリーニョの所有権を55%取得し、2015年まで契約を延長すると共に違約金を1500万ユーロに設定した。 その4か月後に行われた、クラブワールドカップで、当時アフリカ王者のアル・アハリ、欧州王者のチェルシーをそれぞれ倒し、世界一にも貢献した。

インテルやレアル・マドリード、ASローマが獲得に動いていたが、2013年7月6日、トッテナム・ホットスパーFCへ1700万ポンドで完全移籍した。 2013-14シーズン、リーグ戦ではフィールドプレーヤーではチーム2位となる30試合出場、チーム3位タイの6得点を挙げた。2014-15シーズンはリーグ戦15試合出場で無得点。先発出場は3試合のみと機会を減らした。

2015年6月29日、中国サッカー・スーパーリーグの広州恒大へ完全移籍した。移籍金1400万ユーロ(約19億円)の4年契約を締結し、2015シーズンは超級リーグで背番号「48」、AFCチャンピオンズリーグ2015とFIFAクラブワールドカップ2015で「8」を着用した。

2015年8月25日に行われたAFCチャンピオンズリーグ2015準々決勝 第1戦の柏レイソル戦で約35メートルの位置からFKを直接叩き込み、ワールドクラスのスーパーゴールを決めた。
【動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【7】
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2017年10月20日

個人的に好きな動画〜Before and After Ronaldo / Nike〜※動画あり

私の個人的に大好きなナイキのCMです。

やはりロナウドはレジェンド!!


【注目の動画】




posted by よしき at 21:25| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016/2017を支配した5つの戦術トレンドについて考察※動画あり


戦術パラダイムシフトは常に進化し続けております。

昨シーズンはグアルディオラのバイエルンだけが無人の荒野を切り拓く“未来のチーム”だったが、わずか1年という驚くべきスピードで“ペップ・コード”が感度の高い指導者たちにキャッチアップされ、欧州各国で新たな挑戦が始まっています。

攻撃と守備の局面で最適な形にフォーメーションを変化させる「可変システム」
ピッチを5つに分割して縦のレーンをすべて埋める「5レーン理論」
後方部隊とアタッカー部隊に前後分断しMFゾーンを空ける「中盤空洞化」
ゲーゲンプレッシングを軸にしたハイテンポの攻守で敵を窒息させる「パワーフットボール」
ゾーンディフェンスの原則の中で最前線から1対1で人を捕まえに行く「進化型マンツーマン」

これら5つの戦術トレンドは、いずれもグアルディオラサッカーのエッセンスが含まれているが、単純なコピーではなく、監督の個性や国のカルチャーに基づいたプラスアルファのオリジナリティが加えられている。
一人の革命家の時代から総開拓者の時代へ。
佳境を迎えた16-17シーズン、欧州サッカーの最前線が今熱いです。





@可変システム
ランチとディナーは別の服装で。攻撃と守備で最適布陣を追求

ATREND 2 5レーン理論
ゾーンの4バック攻略法。新たな発想が2つの革新を生む

B中盤空洞化
異端者たちが切り拓いた新たな地平。回り回ってウイングが復活する

Cパワーフットボール
コントロール不能のカオスを演出。「動物の群れ」がウサギを襲う

D進化型マンツーマン
ゾーンの枠組みで1対1を作る。守備の可変システム



そんな中で世界のサッカーの戦術のトレンドは、攻撃においてはコレクティブにポゼッションサッカーを志向し、アタッキングサードでも多くの関わりと選択肢を持ちながら意図的に突破を図ることがトップトップのレベルでは多くなってきています。

守備においては、前線の選手からチーム全体で連動してボールを追い込み、連携しながら奪いどころを意図的につくりだしてボールを奪うということがトップトップのレベルでは多くなってきています。

欧州選手権(UEFA EURO 2016)のセミファイナルでフランスがドイツを下した試合に象徴されるように、2015-16シーズンの欧州サッカーは4-4-2の復権が目立った。ボール支配率はドイツ65%、フランス35%。ボールを相手に持たせたほうが勝った。世界最高の水準でも、相対的に力量差があれば、どちらか一方は相手をリスペクトした戦術を採用するものだが、それをより洗練させたと言えばいいのだろうか。ブロックを組み、リトリートしての堅守速攻。4-2-3-1、4-1-2-3、4-1-4-1、3-1-4-2の流行があり、最終ラインと中盤ラインがフラットな4-4-2はひと世代前のフォーメーションとなっていたが、レスターとアトレティコ・マドリーが新しい波を立て、フランス代表がEUROの舞台であらためてその有用性を示した結果を出した。

 サッカー界において、アリゴ・サッキが率いたACミランのゾーンプレスは、オランダ代表とアヤックスのトータルフットボール以来の革命的な出来事だった、頑健な肉体と鉄の規律でプレッシングを繰り返したこのスーパーなチームが採用したのは4-4-2だった。以後、対抗策が生まれ、そのまた対抗策が……と、最新の戦術は次々に変化していく。両サイドを二枚で塞ぎつつトップ下のスペースを埋めた4-2-3-1、アンカーを中心とした扇型の布陣で相手にプレッシャーをかけつつボール支配をもくろむ4-1-2-3など、フォーメーションは単なる初期配置ではなく、戦術や個々の機能と一体化したシステムの代名詞となっていく。ティキタカ(テンポのいいパス廻し)、ゲーゲンプレス(意図的に相手に持たせて高い位置で奪い返してのショートカウンター)など、現象面でもっとも目立つ戦術用語と組み合わせると、おおよそのチーム像が浮かんでくるという寸法だ。フォーメーションとは、戦術を入れる器とも言えるのかもしれない。

 そして現在の4-4-2。イタリア人のクラウディオ・ラニエリ、そして現役時代はイタリアのインテルで活躍したアルゼンチン人のディエゴ・シメオネが、それぞれレスターとアトレティコ・マドリーでこのフォーメーションを採用し、脚光を浴びた。戦術的に時代遅れとされつつあったイタリアの系譜から、ふたりの名将が出現したことはサッカーファンとしては大変興味深い事象である。戦術の新しさとは、結局はほかの誰かがやっていないものをやること、最新の戦術への対抗策であるからこそ、古い戦術がひとまわりして再び流行するというのは、ありえることだ。もちろんそれは、ただ古いままではなく、一段階の進化を遂げつつ、ではあるが。近年にローマやバルセロナで話題となったゼロトップシステムも、もとを辿ればヨハン・クライフやヨハン・ニースケンスが“所在不明”であったオランダ代表(1974年)の姿と言えなくもない。似た発想。時代は繰り返すのだ。
posted by よしき at 21:21| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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