2020年05月14日

ルーク・デ・ヨング(Luuk de Jong)〜オランダのイケメンFW〜※FIFA21 使用感

デヨング.png
こんにちわ

本日紹介する選手はルーク・デ・ヨング選手です。

スイス・ヴォー州・エーグル出身のプロサッカー選手。エールディヴィジ・PSVアイントホーフェン所属。オランダ代表。ポジションはフォワード(FW)。主なポジションはセンターフォワードだが、トップ下を任されることもある。

【経歴】
デ・フラーフスハップ 2008-2009
FCトゥウェンテ 2009-2012
ボルシア・メンヒェングラートバッハ 2012-2014
→ニューカッスル・ユナイテッドFC 2014 (loan)オランダの旗 PSVアイントホーフェン

シーム・デ・ヨングはルークの兄である。

両親ともにスイス国内リーグでプレーするプロのバレーボール選手であった。スイスのエーグルで生まれ、4歳のときにオランダに移住したため、スイスで生活した記憶がないという。

ヘルダーラント州・ドゥーティンヘムにあるアマチュアのDZC'68で兄のシームとともにプレーし、兄弟そろって地元のプロクラブであるデ・フラーフスハップにスカウトされた。シームはデ・フラーフスハップの下部組織在籍中にアヤックス・アムステルダムに引き抜かれ、ルークだけがデ・フラーフスハップに残った。ルークは2008年にトップチームに昇格し、NACブレダ戦で途中出場してエールディヴィジデビューした。SCヘーレンフェーン戦でも途中出場した後、新加入のベン・サハルとコンビを組んで先発出場するようになった。ヴィレムII戦 (1-0) で初めてサハルと2トップを組み、この試合でルークはサハルの決勝点をアシストした。ホームでのFCトゥウェンテ戦ではエールディヴィジ初得点を挙げて2-1とリードしたが、その直後にハンドの反則でFCトゥウェンテにPKを与え、ブレイズ・ヌクフォに同点PKを決められて引き分けに終わった。ヘラクレス・アルメロ戦 (1-0) ではオーバーヘッドシュートで決勝点を挙げた。ホームでのNECナイメヘン戦では足首を負傷して前半で退いた。チームが昇降格プレーオフを戦っている最中に怪我から復帰し、RKCヴァールヴァイクとのホームゲームでは決勝点を挙げたが、結局エールステディヴィジ(2部)降格に終わった。

FCルビン・カザン戦でのルーク・デ・ヨング
2009年4月6日、FCトゥウェンテと3年契約(1年の延長オプション付き)を結んだ。KNVBカップのSCジュール戦 (8-0) で、後半途中にダリオ・ヴイチェヴィッチとの交代で出場してデビューすると、この試合で2アシストを記録した。同大会のCapelle戦で移籍後初得点を含む2得点を挙げた。2009年11月5日、FCシェリフ・ティラスポリ戦でミロスラフ・ストッフとの交代で出場してUEFAヨーロッパリーグデビューを果たした。12月2日のフェネルバフチェSK戦 (0-1) でも途中出場している。KNVBカップのエルモンド・スポルト戦 (3-0) では2得点を決めて勝ち上がりに貢献した。2010年1月1日、FCユトレヒトとのアウェーゲームの90分にケネス・ペレスと交代してエールディヴィジデビューを果たした。ブレイズ・ヌクフォが負傷したため、UEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦のヴェルダー・ブレーメン戦ではルークが先発出場の機会を与えられた。アウェーで行われた試合 (1-3) ではヘディングシュートでネットを揺らし、欧州カップ戦初得点を記録した。2010年2月28日、NECナイメヘン戦 (2-1) でエールディヴィジ初得点を挙げた。4月10日のSCヘーレンフェーン戦 (2-0) では、ロスタイムにリーグ戦2得点目を挙げた。2009-10シーズンはリーグ優勝して自身初タイトルを獲得した。ルークは2010年7月31日のヨハン・クライフ・スハールでも重要な役割を果たした。マルク・ヤンコの負傷のためにルークがアヤックス・アムステルダム戦 (1-0) に先発出場し、8分に決勝点を挙げてタイトル獲得に貢献した。

2012年7月、ボルシア・メンヒェングラートバッハに5年契約で移籍。

2014年1月、出場機会を求めてニューカッスル・ユナイテッドへ2013-14シーズン終了まで期限付き移籍した。
2014年7月、PSVアイントホーフェンへ2019年6月までの5年契約で完全移籍した。
世代別オランダ代表の経験があり、U-19オランダ代表では5試合出場5得点、U-21オランダ代表では2試合出場3得点を記録している。

2011年2月9日、オーストリアとの親善試合の後半にディルク・カイトとの交代で途中出場し、オランダA代表デビューした。同年9月6日、UEFA EURO 2012予選のフィンランド戦 (2-0) で代表初得点を挙げた。
【動画】

総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】
ラベル:オランダ代表 PSV
posted by よしき at 13:00| Comment(0) | オランダ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブレール・エンボロ(Breel-Donald Embolo)〜アフリカルーツのスイスの新星〜※FIFA21 使用感

エンボロ.jpg
こんにちわ

本日紹介する選手はブレール・エンボロ選手です。

カメルーン・ヤウンデ出身のサッカー選手。ポジションはMF、FW。FCバーゼル所属。

カメルーンの首都ヤウンデで生まれ、スイスのバーゼルに移住した。2014年12月12日、スイス市民権を取得した。
2010年からFCバーゼルユースでプレーし、2014年にトップチーム昇格した。3月13日、UEFAヨーロッパリーグ 2013-14のレッドブル・ザルツブルク戦でプロデビューを果たし、3月16日、FCアーラウ戦でプロ初ゴールを記録した。
無題11111.png
スイス代表として各年代でプレーしている。
2015年3月31日のアメリカとの親善試合でA代表デビュー。同年10月9日のUEFA EURO 2016予選、サンマリノ戦で代表初得点を挙げた。

まだ判断力などに課題はあるが、身体能力の高さはやはり凄い。これでまだ18歳、今後の成長に期待したい。
【動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【4】
センス【7】
posted by よしき at 12:00| Comment(0) | スイス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スチュワート・ダウニング(Stewart Downing)〜変態ドリブラー〜

無題.png
こんにちわ

本日紹介する選手はスチュワート・ダウニング選手です。

イングランド、ミドルズブラ出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。


ミドルズブラ
ミドルズブラ育ちであり、幼い頃からのミドルズブラ・サポーターでもあり、ミドルズブラFCの下部組織で育つ。2002年4月24日のイプスウィッチ・タウンFC戦にて17歳でプレミアデビューを果たした。その後、地元のライバルサンダーランドAFCへのローン移籍を経験。1年で復帰するもボウデヴィン・ゼンデンなどの活躍で出場機会は限られたものとなっていたが、2004-05シーズンから頭角を現し、このシーズンはカップ戦などを含め48試合に出場し6ゴールを上げ、多くのアシストも記録した。この活躍がエリクソン監督の目に留まり、2005年2月9日のオランダ戦でイングランド代表デビューを果たした。
a.jpg
2005-06シーズンは膝の怪我の影響でリーグ戦は12試合の出場に止まるが、UEFAカップでは準決勝ステアウア・ブカレスト戦のセカンドレグにおいて3アシストと活躍し、決勝進出に貢献するが、決勝ではセビージャFCに0-4で敗れ準優勝だった。
2008年2月26日にミドルズブラと2013年までの5年契約にサインした。また、シーズン終了後にマーク・シュワルツァーがフラムFCに移籍したことに伴い、ブラッドリー・ジョーンズに次ぐチーム2番目の古株になった。しかし、2008-09シーズンは混乱の年となった。ミドルズブラはシーズン序盤は好調なスタートを切り8位に付けたが、11月9日のアストン・ヴィラFC戦以降14試合連続で勝利から見放され降格圏内に低迷した。このことからダウニングは年明けにチームを去りたい意向を伝えるが却下された。さらに、2009年5月16日のアストン・ヴィラFC戦でスティリアン・ペトロフに足を踏まれて骨折し、最終節のウェストハム・ユナイテッドFC戦も敗れて19位に終わり2部降格となった。
aaaa.jpg
アストン・ヴィラ
ミドルズブラの降格に伴い、7月16日に移籍金1200万ポンド(約18億6000万円)でアストン・ヴィラFCへ4年契約で移籍した。骨折の影響から2009-10シーズンの開幕には間に合わなかったが、11月21日のバーンリーFC戦で70分からスティーヴ・シドウェルと交代、移籍後初出場を果たした。12月1日、カーリング・カップ準々決勝のポーツマスFC戦で移籍後初得点を決めた。復帰後はジェイムズ・ミルナーがセントラルなポジションにコンバートされたことに伴い右サイドでプレーすることになった。左サイドのアシュリー・ヤングと共にサイド攻撃を担うと、リーグ戦で6位に入りUEFAヨーロッパリーグの出場権獲得に貢献した。

リヴァプール
2011年7月16日、古豪復活を誓うリヴァプールFCに加入した。移籍金は推定2000万ポンド(約22億2500万円)以上と見られている。移籍に際して、「クラブが僕に興味を持っていると知ってからは、他の行き先は考えられなくなったよ。アンフィールドを駆けるのは最高の気分だろうね」と語った。
しかし2011-12シーズンは移籍金と周囲の期待に見合った活躍ができず、リーグ戦では0ゴール0アシストという低調な結果に終わり、順位も8位と低迷した。監督がケニー・ダルグリッシュからブレンダン・ロジャーズに変わると左SBで起用されることもあった。移籍後初ゴールも決めたが、フィリペ・コウチーニョの加入やラヒーム・スターリングの台頭もあって前年よりも出場機会は減少。確固たる地位を得るには至らなかった。




ウェストハム
2013年8月13日、ウェストハム・ユナイテッドFCに移籍が決定。リヴァプール時代のチームメイトであるアンディ・キャロル、ジョー・コールと再会することになった。

【エピソード】
サッカー以外でもいくつかの慈善事業などに参加している。2008年2月にボクサーのリッキー・ハットンと共にニューカッスル・アポン・タインにある王立ヴィクトリア病院の資金を集めるためにチャリティーディナーを開催した。この病院は1993年に4歳で亡くなったダウニングの妹が白血病の治療をしていた病院である。
2007年に地元のクラブでDJデビューをしており、ゴールパフォーマンスでDJのパフォーマンスをすることがある。

【代表】
19歳から各世代の代表に招集されている。フル代表では、前述のオランダ戦でイングランド代表に初招集され、その試合の後半にショーン・ライト=フィリップスと交代しフル代表デビューを果たした。
2005年5月のアメリカ遠征中の怪我で一時期代表を離れていたが、2006 FIFAワールドカップのイングランド代表メンバーに招集された。グループリーグのパラグアイ戦においてマイケル・オーウェンと、トリニダード・トバゴ戦においてジョー・コールと交代し途中出場している。


【注目の動画】


総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】
posted by よしき at 11:00| Comment(0) | イングランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レアンドロ・カスタン(Leandro Castán da Silva)〜ローマが誇る中距離砲〜※FIFA21 使用感

れ無題.png
こんにちわ

本日紹介する選手はレアンドロ・カスタン・ダ・シウバ選手です。

ブラジル・サンパウロ州出身のサッカー選手。ASローマ所属。ポジションはDF。

2003年からブラジルのアトレチコ・ミネイロのユースチームでキャリアをスタートさせ、2005年にトップチーム昇格を果たした。2007年、ヘルシンボリIFに移籍した。2008年にグレミオ・バルエリに移籍しブラジルに復帰すると、レギュラーに定着。2010年にはコリンチャンスに移籍し、セリエA優勝とコパ・リベルタドーレス初優勝に貢献した。

2012年7月18日、イタリアのASローマに移籍金500万ユーロ、4年契約で移籍。同年8月26日のセリエA開幕戦のカターニア戦でセリエAデビュー。

2012年9月27日にマノ・メネーゼスによりイラクと日本との親善試合に向けたメンバーに選出され初招集を受け、10月16日の日本戦にフル出場し代表デビュー。

【動画】


総合評価
攻撃力【5】
守備力【8】
センス【8】
posted by よしき at 10:00| Comment(0) | ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フェデリコ・ベルナルデスキ(Federico Bernardeschi)〜前線に質の高いラストパスを送り込むファンタジア〜※動画あり※FIFA21 使用感

d.png
こんにちわ

本日紹介する選手はフェデリコ・ベルナルデスキ選手です。

イタリア・トスカーナ州マッサ=カッラーラ県カッラーラ出身のサッカー選手。セリエA・ACFフィオレンティーナ所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。

人物
10歳からフィオレンティーナの下部組織で育成され、各年齢のカテゴリにおいて常にチームのエースとして活躍してきた最も有望な選手の1人である。2011年には世界屈指のビッグクラブであるマンチェスター・ユナイテッドFCからオファーを受けるも、クラブ愛を示しフィオレンティーナ残留を望んだ[5]。プロデビュー後の活躍からイタリア全国スポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルトには「フィオレンティーナの才能」「新たなバッジョ」と書かれ、これらのエピソードによってクラブとファンから将来の飛躍を嘱望されている。愛称は 姓の短縮形である「ベルナ」と呼ばれている。
g.jpg
ポジション
プロデビュー後のクロトーネ在籍時は、主に利き足である左足でカットインドリブルが可能な右ウィングでプレーした。フィオレンティーナに復帰後は3-4-2-1のシャドーストライカーや左右のサイドハーフとして起用されている。 スタイルが似ているとされる同い年のドメニコ・ベラルディとの比較では、ウィング寄りのベラルディに対し、ベルナルデスキはよりトップ下的なプレーヤーと評される[25]。本人は「好きなポジションは特になく、攻撃的な全ての役割が得意」と考えている。実際に左右両ウィングのポジションを問題なくカバーし、試合中にもトレクァルティスタの位置や逆サイドに頻繁にポジションチェンジを行う。
f.jpg
プレースタイル
強力かつ正確なキックから繰り出される威力あるフリーキックが武器である。その正確なキックは試合中の流れの中でも見られ、速いライナー性の長短のシュートを巧みにコントロールする事ができる。クロトーネ在籍時はテクニックの高さやレフティの右ウィングである事からアレッシオ・チェルチとも比較されたが、ベルナルデスキはよりクレバーさも兼ね揃えているプレーヤーだと評された[26]。また、みずからフィニッシュに絡むだけではなく、前線に質の高いラストパスを送り込むファンタジアと戦術センスをそなえている。特定のシーンでやや個人プレーになる以外の欠点はない。

エピソード
フィオレンティーナ入団時には最も興味深い才能と認められ、在籍当初から背番号10番を渡された。その後の下部組織のチームでも10番を身に着けていた[24]。フィオレンティーナ復帰後の2年目からはシニアでも10番を着用。
2011年にマンチェスター・ユナイテッドFCからオファーを受けた時は、本人は「興味が持てなかった」という理由で断ったと後に明かしている。
クロトーネ移籍後のインタビューでは「出来るだけ早くフィレンツェに戻って、フィオレンティーナでセリエAを戦うのが夢だ」と話した。
インタビューにおいて参考にしている選手は「アレッサンドロ・ディアマンティ」と答えている。
右腕に彫られたタトゥーは女優のオードリー・ヘップバーンの肖像である。

【注目の動画】


総合評価
攻撃力【7】
守備力【7】
センス【6】
posted by よしき at 09:00| Comment(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする